エルの楽園

Twitterで垂れ流すには見苦しい長文を置きます。 あ、はてな女子です。

神戸・三宮の日本酒飲み放題のお店「ニューキタノザカ」に行ってきました&テイスティングメモ

神戸・三宮の駅近くにある日本酒飲み放題のお店「ニューキタノザカ」が開店したので早速潜入してきた。

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お分かりいただけるだろうか……

お値段は2時間で2000円、時間無制限で3000円。お酒は完全にセルフサービスで、セラーから気に入ったお酒を取り出して好きなだけ注いで飲む。燗の道具や氷もあるので好きな温度でお酒を飲める。

飲料水は無限供給されるのでちゃんとお水を飲みながらお酒を飲むよう指示をされる。おつまみは持ち込み、階下のカキ料理屋さんから出前が可能。小皿とお箸、調味料は貸して頂ける。ガスコンロも貸してくれるとのことなので、冬は鍋ができるかも?

店内は小ぢんまりとしていて20人も入れないような広さ。お客さんのほとんどは男性だったけれど雰囲気がよく、女性だけでも問題なく入れる。

というどう見ても天国のようなところです、本当にありがとうございました。

 

写真だけでもお分かりいただけると思うけれど、品揃えがかなり良い。個人的にも好み。一体どんな魔法でかき集めてきたのか分からないけれどそれはさておきとして、デパ地下で揃えてきた美味しいお惣菜と共に色々飲んできた。最初に言っておくけれど、今回口に入った中で不味かったものや気に入らなかったものは当然ながら一滴もない。以下テイスティングメモ;

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1. 澤屋まつもと 純米

かけつけの澤屋まつもと 純米。すっきりとした甘口で飲みやすく、さすが。後味が残らない方なのでするすると飲めてしまう。おつまみの必要を感じないが、食事と喧嘩するような味ではない。

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2. 梵 純米大吟醸 艶

梵のブルーボトルになにかつける難癖があるというのか?美味しくて涙が出る以外の言葉がない。天使が舌の先を蹴って去るような後味で、このすっきりさが恨めしい。淡い味わいで、口の中に他に何も入れたくなくなる。

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3. 新政 純米 エクリュ

前2つにくらべるとこれははるかに食中酒らしい。柑橘類を加えたような爽やかな香りと風味だけれど、味自体に酸っぱさはない。すっきりと夏らしく、お刺身やたたきに合う味わい。この洒脱さは実に新政らしい。

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4. くどき上手 純米大吟醸 出羽燦燦

出羽燦燦という文字列を見たら飲むという誓いを立てているので早速頂く。好みよりかは辛めだけれど温かみのある香りが口内に広がり、辛さが気にならない。後味もあまり残らず、飲みやすく食中酒向き。燗立ちもしそう。

5. 笑四季黒(生)

邪魔にならない美味しさでスルスル飲めてしまう。意識しないんだけれど気づいたらグラスが空になっている危険な味。これもまた食事の邪魔をしないのだけれど、でも何かを食べるよりつい無意識にこっちを口に運んでしまうのだよね。

6. くどき上手 純米大吟醸

出羽燦燦でないくどき上手。甘口で美味しく好きなタイプだけれど、大吟醸というには大分存在感があるしっかりした味わい。ただもちろん厭らしさはなく、上品な後味は大吟醸のそれ。

7. 蒼空 雄町おりがらみ

雄町のにごり。匂いが結構辛そうなんだけれど味はそういうことはなく、飲みやすい。初夏のにごりは爽やかで美味しいので、脂が多かったりちょっとねっとりした肴に合わせるといいと思う。

8. 小布施ワイナリー ソガペール ヌメロシス

なるほどこれがライスワインかーと思える、食事との合わせ方という点で白ワイン感覚で飲めるお酒。割と辛めだけれど気にならず、すっきりしていて実に食中酒向き。シーフードをたっぷり使った南仏料理に合わせてみたい。

9. 菊勇 三十六人衆 あらばしり

甘くて温かみのある味わい。これも冬に鍋と一緒に飲むといいかも。

10. 東洋美人 ジパング

本当に大吟醸なのか?と疑ってしまうほど濃厚な存在感。でも味わいの上品さは大吟醸のそれ。飲みごたえと満足感がある。

11. 仙介 特別純米

勧められて頂いた一本。食中酒向きの味わいだけれどつまらないところはなく、普通に美味しい。色んな食べ物との取り合わせを楽しめそう。

12. 東一の何か

記憶には残ってないけれど記録にはあるから多分飲んだのだとは思う……辛めだけれどそれ以上に濃厚で酸味もなく、単体で楽しめる味わい。

 

他にも飲んだようなのだけれど、メモがバイオハザードの日記かダイイングメッセージみたいになっていてこれ以上は判読できなかった。なんともったいない……今度またリベンジしたいと思います。

 

「察してほしい」の取扱説明書

※ 発言は個人の感想であり全く汎用性のない記事です。主語は最小です。「あっこれ自分には関係ない」と思ったらそっ閉じを推奨します。

 

Twitterでつらつら呟いていたら物珍しがられたので、まとめを書きます。

 

わたしはかなりの察してちゃんです。面倒くささにはちょっと自信があります。わたしの思っていることを察してほしいと頻繁に思っている部類の人間です。

ですが「察してほしい」とは「わたしの頭の中にある正解を言い当ててほしい」という意味ではありません。何か具体的に頼みごとがあるならその通り言います。わたしが「察してほしい」と思う時に求めていることは「一生懸命労力を使ってわたしの考えていることを察するべく努力してほしい」というものです。その結果としてどんなにとんちんかんな結論を出したとしても構いません。一生懸命わたしのために労力をつかってくれたという事態そのものを喜びます。結果ではなく、過程を求めています。

だから、「一生懸命君の考えていることを察するべく頑張った」という過程を見せて欲しいのです。黙ってなにか考えられていたところでボケっとしているだけなのか何か考えているのかは分からないし、そもそも真の思考とは自分ひとりで完結するものではありません。自分一人の脳内だけでああでもないこうでもないと妄念をこねくり回していても、それは一生懸命考えた内には入らないです。それは知的怠慢というものです。ちゃんとした思考には、それなりのプロセスがあります。

 

以下に2つほど例を挙げます。

 

「何食べたい?」に「うーん……何でも」と言われた時の対処思考

「何食べたい?」と聞かれて、わたしが「うーん……何でも」と応える時は、世の女子がそうであるらしいように「わたしが何を食べたいかを察してほしい」と思っています。つまり「わたしが何を食べたいかを一生懸命考えてほしい」と思っています。

わたしがなにを食べたいかを一生懸命考えるための理想的なプロセスは下記のように進行します。

1. 選択肢を絞るために手掛かりとなる情報の収集

この世に食事の選択肢なんて無限にあるのだから、まずは選択肢を絞らなければはじまりません。ヒアリングによって選択肢を絞るための情報を収集します。

まず食事に対するコストについて、下記のような質問が考えられます。

  • 家でご飯を食べたいか?外食をしたいか?
  • 近場がいいか?遠くがいいか?
  • すぐに食べられるものがいいか?時間をかけてゆっくり食事をしたいか?
  • 予算はどの程度か?

次に食事の嗜好について、下記のような各評価軸が考えられます。

  • さっぱりしている - 脂っこい
  • がっつり食べる - 軽めに食べる
  • 肉が多め - 野菜が多め
  • 温かい物 - 冷たい物
  • 和食 - 中華 - エスニック - インド - イタリアン - フレンチ - スペイン - トルコ 
  • エレガントなお店 - カジュアルなお店

これらの軸の選定と評価にはSemantic Differential法が使えると思います。フワッとした主観を評価するのによく用いられる方法ですからぜひこういう場面で活用したいですね。

これらの情報を、わたしとの対話によって収集してもらいます。これで大分選択肢を絞る手がかりが得られました。

2. 選択肢そのものの選出

上記の手続きによって選択肢を絞る手がかりは得られたものの、この段階での情報はあまりに漠然としすぎています。「さっぱりした和食で温かい物をゆっくり食べられる、そう遠くないお店で外食したがっている」といった程度の情報が得られたところで、特に都会なら該当する店舗が200件以上はあります。もうちょっと確実性の高い選択肢を得る必要があります。

ここで情報収集は次のターンに移行します。具体的には、わたしの食べログTwitterはてブ等で「行ってみたいレストランのリスト」に入れていたり、以前に「行きたい!」とつぶやいているお店のリストを収集してもらいます。

わたしは食べログのリストやTwitterアカウントを公開しており、twilogにも登録しています。それらを確認したり "行ってみたい" で検索したりすれば、わたしが興味を持っている飲食店の一覧が取得できます。その中から、前項で判明した条件を当てはめればかなりいい感じの精度で「わたしが今行きたいだろうお店」を推察できるはずです。

上記のような過程を踏んでもらった後に選ばれたお店が、例え実際はわたしの気分にぴったりではなかったとしても、とても嬉しいです。「わたしのためにここまで色々考えてくれたなんて……!」と大感激し、「ありがとう☆そこにいこっ///」となるのは確実です。

 

次はもうちょっとやっかい目の例を挙げます。

 

「何を怒ってるの?」「それくらい自分で考えて!」と言われたときの対処思考

世の女子がそうであるらしいように、わたしも第三者からは一見分からない理由で不機嫌になります。そして「なんで怒っているかくらい自分で考えて!」というような態度をとったりします。

(ちなみに「お腹が空いている」「眠い」「その他怒りをぶつけられている相手には全く関係のない理由で不機嫌」などと言った場合にはこのような態度はとりません。その場合は正直にそう申告します。したがってなんで怒っているかくらい自分で考えて!」というような態度をわたしに取られた場合、ほぼ確実に自分に原因がある(とわたしは思っている)と考えて頂いて構いません。)

この場合の原因究明のための理想的な思考プロセスは以下のようなものです。

1. 簡単に特定できる原因を潰す

このような場合、まず自分がなにかを忘れたりすっぽかしたりしていないか?の確認が最優先です。これらの情報は簡単に確認しやすく、先に潰しておくことで問題の拗れを防ぐことができます。具体的には

  • なにかの予定や記念日をすっぽかしていないかカレンダーを確認する
  • 頼まれていた用事を忘れていないかを確認する
  • メールやLINEの返信し忘れがないかを確認する
  • 髪型の変化や新しい服を着ていないかどうかを確認する

といったことです。全部合わせても5分とかからずに確認できることであり、原因が分かったらその場で解決ができます。どうしても自信がない場合は「ごめん、もしかして何か忘れていることがある?」と聞くと完璧ですね。

2. スコープを特定する

すぐに分かる簡単な問題が原因でなかった場合、原因となる事象が発生したスコープを特定します。例えば

  • それはいつ発生した事象が原因なのか?
  • 今回が初めてか?それとも以前にも同様の事象が起こったか?
  • 繰り返しの事象の場合、頻度はどの程度か?
  • 以前にも同じことを注意したことがあるか?
  • それは言動に関することか?あるいは振る舞いに関することか?
  • 第三者の関わることか?関わるとしたらそれは誰か?
  • 金銭の絡む問題か?
  • 社会慣習や礼儀作法に関する問題か?

といった事柄です。これらを確認すると「昨日初めて紹介された友だちに何か不躾な言動をしたことが原因らしい」とまでは特定できるはずです。この段階で思い当たることがあるなら、もう解決はすぐそこです。

3. 賠償案と再発防止策と併せて解決に臨む姿勢を見せる

ここまで特定できてもどうしても原因が分からない・思い当らなかった場合、素直に「ごめん、~~~が原因だとまでは思うんだけれど、どうしても心当たりがない。理由を教えてくれる?」と聞きます。最初から「えーなんだよ、むくれてないで言えよ!」と言われるのとは違い、色々と原因究明の努力をしてくれた上での質問ですから、さすがに面倒くさい性格のわたしもこれ以上引っ張ったりはしません。この時点で大分気持も態度も軟化していますので、素直に理由を話します。

ただ、ここで理由を聞いて「そのことかーごめん!」と言われただけでは納得ができません。賠償と再発防止策をセットで提案してもらいたいと思います。例えば

  • 目の前でカレンダーやTODOリストに登録する
  • お詫びの印に美味しいケーキ屋さんに連れていく

といったことですね。謝罪と賠償と再発防止策はセットです。3つで1つです。

 

ここまでして頂いたら「こっちこそ色々考えてくれてありがとう、なんて誠実なひとなの……///」と思えるので、機嫌が直るどころか好感度も寛容度も増しています。

 

まとめ

つまるところ、わたしが求める「一生懸命な推察」は、わたしに対する情報収集なしには成立しません。わたしに何一つ質問しないまま脳内でああでもないこうでもないと考えるのも、わたしに明示的かつ具体的なただひとつの回答を求めるのも、どちらも知的な労力をケチっています。わたしが察してほしい時は労力そのものを求めているので、どちらの対応もわたしの望まないものです。「何かしてほしいことがあるならはっきり言え」と言われましても、言われたことだけしかやらないロボットと付き合いたい訳ではありません。

もちろん非公開情報を手掛かりにしろなどとムチャクチャなことは言いません。わたしは可能な限りライフログを公開し、質問に回答しています。Facebookのようなログ収集が困難なSNSも使用していません。脱出ゲームのごとく、労力をかけ頭を使えば必要な情報はすべて収集できるようにしてあります。ここまで下準備しているのだから、後はちょっと頭と手を動かしてくれればいいだけです。

ただこうしたプロセスを成立させるための省力化や自動化は大いに歓迎します。例えばわたしのTwitterで「行きたい」や「欲しい」という言葉が含まれるTweetを自動収集するスクリプトを作成したり、些細な予定でもすぐカレンダーに自動登録するよう設定したり、あるいは一度表明した不満を管理するためのBTSを導入したりといったことはとても嬉しく思います。「わたしのためにRedmineまで立ててくれるなんて……!」と泣くほど感激します。個人的にはTrello+Slackでたくさんだと思っていますし、そもそもやってもらったこともありませんけれど。

 

ちなみに、なんでわたしがこのような面倒くさい過程を求めるかというと、愛とは骨身を惜しまないことだと思っているからです。少なくともわたしは普段から相手の求める物を上記のようなプロセスを踏んで一生懸命考えるよう努めているので、偶には相手にもわたしのために脳味噌を使ってほしいのです。いつもとは言いませんが。

恋人や配偶者に向かって無限の徒労を求めるのはもちろんクソです。でも例えば職場で上司やクライアントに対して日常行っている心遣いの1/16でも自分に向けてほしいと思うのは、それほど無理筋な要求ではないと考えています。いつも仕事が忙しいの一点張りでちっとも構ってくれないのだから、偶には少しくらい甘えてもいいではないですか。

普段は優秀な社会人なんだから、お仕事ではこれくらいやっているんでしょう?顧客から要求仕様を聞き出したりクレーム対応をしたりする労力に比べたら、こんなもの取るに足らないと思いますけれど。

 

 

技術分からないCEOのアタシが考えるイケてるCTOの条件

※発言は個人の感想です。


わたしがCEOなのは本当です。いわゆる創業社長ってやつで、なし崩し的にCEOになってます。技術が分からないのも本当。また弊社は大企業でもなければIT企業でもないので、大企業だのIT企業だののCTOの場合はまた話が違うのかもしれません。まぁそんなの、究極的には各社それぞれケースバイケースですよね。
ただイマドキ、どこの会社も業務システムを使っているし外部向けのWEBサイトくらいあるでしょう?オンラインマーケティングだって少なからずやっているはずです。だからITと無関係な企業ってのもないんじゃないかなぁ。


そんなわたしがCTOに求める役割は
「経営課題のうち技術によって解決できるものを見つけ出し、解決してほしい」
です。
あ、念のために言っておくと、こういう文脈で「~してほしい」というのはモヤッとした個人的要望ではなくて、社として負ってほしい職責を指します。だから職務記述書に書くとするならば
「CTOは経営課題の技術的な解決に責任を負う」
という記述になりますね。

それと、CTOというのが実際に社内/社外、法的にどのような存在なのかは

wadap.hatenablog.com


こちらの記事に詳しいです。マジでこれくらいは前提として理解しておいて頼む。


さてここから先は話を平和にするためにエビ料理レストランに例えて話をします。;

丸の内エリアにエビ料理レストランを新しく出店することにしました。各種の貴重なエビをメインにしたオシャレなレストランですが、ランチから気取らないディナー、ちょっとしたパーティーまで、シーンを選ばず幅広くお使いいただける感じのお店です。
一番のウリは何といってもエビです。単なる高級なエビというだけではなく、世界中から四季折々の珍しいエビを使って、それらの美味しさを最大限に引き出したお料理やお酒を提供します。あのエリアにそこまでエビにこだわったお店はないし、日本人は世界一エビが好きな人種です。
これはイケる!!!!

プランを作り出資を募ったところ、幸いにも素敵な出資者が現れて問題なく資金も店舗も用意できました。開店準備は完璧です。ただ問題は、わたしは全ッ然料理のことは分からないしエビ料理なんてできません。エビ自体は大好きだし食べる方にはかなりの自信があって、我ながら武藤鶴栄氏に勝るとも劣らない目利きだと思っているんですが……だから総料理長を募集することにしました。
それなりの待遇で募集をかけたところ、以下の3人が応募してくれました。

  1. 某三ツ星ホテルのレストランで20年間料理長をしていたベテランシェフ。志望動機は「そろそろ新しいことをしたいから」
  2. 隠れ家系でお客様を選ぶようなエビ料理店(1日5組まで、完全予約制で半年待ち)の元オーナーシェフ。志望動機は「色々あってお店が人手に渡ることになり(ry」
  3. 気鋭の天才エビ料理シェフ。志望者の中では一番の若手だが独創的な料理で知名度が高く、数々のメディアに登場しており著書も数冊ある。ネームバリューは現時点でトップ。志望動機は「自分のお店を持つ時期かと思って」

それぞれにエビ料理を作ってもらったところ、いずれもごく基本のエビフライから名状しがたい独創的な料理まで完璧な腕前です。腕前に甲乙を付けるには岩崎民次氏にお越しいただく必要があるレベルです。


あなたならこの3人のうち誰を採用しますか?それを決めるためにここに挙げた情報以外に必要なものがあるとしたら、それは何ですか?

 

 

わたしが総料理長に現時点で求める仕事は以下の通りです。

  • 他の腕の立つシェフを採用してほしい
  • お店のコンセプトに合ったメニューを決めてほしい
  • 総料理長として他のシェフを取りまとめ、厨房を使いやすくセッティングしてほしい
  • その他、お店を流行らせるために気づいたことがあったら教えてほしい
  • 以上のことを、資金計画を理解しそれから逸脱しないようにやってほしい

また、実際にお店を運営していく中で以下のような問題が発生することもあります。

  • 今週メインに出す予定だった三重県産セミエビが不漁で半分しか確保できなかった、どうしよう?
  • そろそろ旬のゾウリエビをメニューに加えたいがゾウリエビを調理できるシェフが見つからない、なんでだろう?
  • テレビ出演が決まったので放映後しばらくは普段の倍の来客数が見込まれる!対応できる?
  • 秋のパーティーにどうしても国産クルマエビを出してほしいというお客様がいるけれど、季節が合わないよ!


これらの問題が果たして「技術的課題」なのかそうでないのかを弁別するのは実際にはとても難しいことです。メニューはもちろん技術的課題ですが、マーケティング上の課題でもあります。流行るとか流行らないだなんてのも広告宣伝に関する部分が大きそうです。また例え技術的課題なんだとしても、それを解決するための資金がが足りてないならばできることは限られます。そして不漁は総料理長の責任ではないし、採用も「そもそも応募してこない」という問題ならば「もっと給料上げろよ……」といった解決策しか思いつかないでしょう、普通は。

でもねー、そこをお客様気分でいられたくないのよ。「ここからここまではCTOである俺の仕事、ここから先はCEOであるお前の仕事」なんてサッサと決めつけてしまうようなCTOでは困るんです。
役割分担を否定している訳ではないんです。ただ、「自分の問題」として考えてほしいんですよ。


例えば、三重県産セミエビが不漁であれば「すみませんあれはナシになりました!」と謝罪広告を出すのも解決策の一つです。少なくともわたしだけがこの問題に対応しているならば、正直言って他の方法が思いつきません。ただ各種の修羅場をくぐり抜けてきた経験豊富なシェフならば

  • 以前に試したことがあるが、食味の似るコブセミエビを併せて仕入れられないか?
  • 宮崎県産のセミエビを確保できる仕入れルートを知っているが、それを使えないか?

といった解決策を提案できるかもしれません。

また、ゾウリエビが調理できるシェフを確保できない理由について、わたしならば「おちんぎんが少ない所為……?でもこれ以上お金出せないし(;_;)」以上のことは考えられないのですが、料理人コミュニティに関する知識が豊富なひとならば
「あれは美味だが漁獲量が少ないために経験のあるシェフが少ない。ウチワエビに構造が似ているので、ウチワエビを調理できるシェフを探して少し再教育したら何とかなる」
と分析してくれるかもしれません。

限られたマーケティング費用の中でお店を流行らせる施策について、技術とは直接の関係がなくても、周辺領域の知識があるならば
「あのグルメ雑誌は読者数はそう多くないんだけれど、レストランに詳しくて口コミの影響力がある人が多く読んでいる。何度か取材を受けたこともあるけれど、記者もとても知識があってしっかりしているんだ。記事広告を出すならあの雑誌がどうかな?」
という情報をくれるかもしれません。


わたしひとりでは、色んな問題に対して「詰んだ……!」と頭を抱えてしまうんです。ひとりだけで考えられる解決策の幅には限界があるからです。
たとえその案が最終的な解決にならなかったとしても、専門家として異なる視点から一緒に考えてくれるひとが欲しいのです。

 

他にも、色んなことを話し合っていきたいです。例えばわたしが「会社員向けの平日ランチメニューとしてイセエビの殻つきコキーユを出そう!」と言い出したら、「お前コキーユを一つ焼くのに何分かかると思ってるんだ?目を覚ませ!」と言ってもらいたいです。
また総料理長が「セミエビとアブラゼミのフリッター」とかいう料理をメニューに加えようとしたら、わたしは責任もって「そんなもの食いたい客がいる訳ないだろう食べログになんて書かれるか分かってるのか?目を覚ませ!」と言います。
テレビの取材で緊張して変なことを口走り批判Tweetが殺到してるって?大丈夫わたしに任せて!炎上対応ならちょっと自信あるんです。

相手が困っていることは何でも相談してほしいし、わたしも何かあったらどんどん相談します。


世の中に経営陣の心構えを説いた経営指南書はたくさんあります。ただCEOはアレをやれ、CTOはこれだけやっていればOK、などという切り口で指南している本は見たことがありませんし、おそらくないはずです。現実の経営は複雑で、かつ目まぐるしいスピード対応を求められる戦場で、「これはアイツの仕事だから~」などと言っていられる余裕はないからです。それぞれに専門性を持った多様な人材を経営陣に備え、それぞれの得意分野で精いっぱい能力を発揮して頑張ろう、というのはアリだと思うのですが、各タスクの完全な切り分けはできないでしょう。*1

ぶっちゃけねぇ、CEOになるとかCTOと呼ばれるとか、結果ですよ結果。
それは「経営責任者の中で主にそっち方面を担当するヒト」に与えられる便宜上の称号でしかないです。


弊社としては、CTOには技術者として十分な見識と腕前があるなら、それ以上の"能力"は求めません。ただ、とにかく同じ方向を向いて話し合えるひとがいいな、と思います。

*1:その辺の話は「経営の未来」が非常に示唆に富むので、興味ある方はぜひどうぞ。

あの時、わたしが考えていたこと

もうすぐ二十歳になる年下の友人に、わたしが彼女くらいの年齢だった頃は何を考えていたかと聞かれたので、人生のどこで何を考えていたのかを思い出しがてら備忘録を書いておく。それぞれの年齢において生活や恋愛や仕事の悩みなどは相応にあったが、それは特に年齢固有のものではないと思うので、あくまで「その年齢」に考えていたことを記録する。

(※発言は個人の感想です)

 

10歳の頃、世界には秘密がたくさんあって、わたしたちにはそれが隠されていると思っていた。

大人たちは世界の秘密を知っているけれど、彼らにも何か都合があるのか子どもにはそれを教えない。だから何とかしてそれを暴いてやりたいと思っていた。

市立図書館の隅っこに放置されている、小さな字の古ぼけた本、街路の植え込みの下の暗がり、無数に落ちているきれいな石やドングリの中、そういったものに世界の秘密が隠されていると思っていた。だって大人は、わたしがそういったものを丹念に調べようとすると「なにをグズグズしているの、さっさとしなさい」などと叱ってそこから注意を背けようとするのだから。

堀辰夫「ルウベンスの偽画」に、ヒロインとその母の指が「彼女のふっくらした指」と「夫人の引きしまった指」と描写されている。それを読んでわたしは思わず自分の手を眺めた。10歳の童女の指はまだ細かったが、引き締まってもいなかった。わたしはもう少し自分が長じたらこの指が太り、そして大人になったら細くなるのだと思った。世界の秘密をまた一つ知った思い出として、とても印象に残っている。

 

15歳の頃、日常が永遠でないと知って、日常の終わりを恐れていた。

この年齢の子どもの生活は目まぐるしくて、3年程度で所属するコミュニティや社会からの取り扱いがどんどん変わってしまう。しかも、当時は阪神大震災オウム事件等も記憶に生々しく、日常なんてまったく永遠ではなくて簡単に崩れてしまうと思い知っていた。社会全体がいわゆる「世紀末」思想の全盛期だったころだ。

今の日常もきっとすぐに終わってしまう。その時はどうなってしまうのだろう?今の自分には大切なものやひとがたくさんあるのに、それらはきれいさっぱり失われてしまうんだろうか?

一日でも長く今日が繰り返されればいいと願っていたけれど、同時に、必ずくる日常の終焉に対してどういう対策をとればいいのか、具体的な方法を知りたいと思っていた。

 

20歳の頃、自分が分別を完璧に備えた一人前の大人だと思っていた。

同い年の男の子がどうしようもなくガキくさく見えて、あまり関わりたくなかった。自分と違う考えや価値観を内心バカにしていた。それでも、もういい大人なのだから世界に対して理性的な態度でいなければいけないとも強く思っていて、今までの人生でやったことがない事には可能な限り挑戦した。苦手な食べ物を食べてみたり、視界に入る喫茶店とバーには全部入ったり、遠くへ旅をしたり、全然関係ないゼミに乱入したり、見知らぬひとに会いまくったり、創業をして遊んでいたのもこの頃だ。めちゃくちゃに勉強したし働いたし、その反動でこんこんと寝込んだりを繰り返したりした。

世界に対する恐れは消えていて、ある種の博愛のようなものが芽生えていた。世界はわたしが生きるための道具ではなく、それ自体愛すべきものなのだと知った。

 

25歳の頃、こんなことをしていて意味があるのかと思っていた。

どんなことに対しても意義や客観的理由を求めるようになっていた。素直に「やりたいからやる」という気持にはなれなくて、なにか人生でキャリアになるとか、ひとに自慢できるとか、社会的に意義がある行為だからやる、とか、そういうのがなければなにかをすべきではないと思っていた。

人生に対していわゆる効率厨になっていたと思う。やりたいことは物凄くたくさんあったのだけれど、それを全部やっていたら到底身がもたない。だから選別のためにそうした理由を必要とした。そうして選ばれた「やりたいこと」は、どれも大成功とはいかなかったが間違いなく楽しかったし、有意義だと感じられた。でも、段々自分の「やりたい」という動機の重みは下がっていった。

 

30歳の頃、このままでいいのかと思っていた。

それなりに充実も安定もしていて、公私ともに恵まれ幸せに暮らしていた。おとぎ話の結末の「末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし」状態だった。でも今までの人生で、むしろ未知や不確定に慣れ切ったわたしには、ずっと同じ状態でこれから先の人生を過ごすなどと考えるとむしろ焦燥感が湧いてきた。

人生は変化しなければならないと思っていた。特にどうしてもこれといってやりたい困難な挑戦があった訳でもないが、しかし自由と快適はトレードオフだ。苦労なら今までに売るほどやってきて、ずっと安定した快適な生活を望んでいたはずなのに、いざそうなるとなんでまた大変な目に遭いたいなどとアホなことを考えるのか、我ながら理解に苦しんだ。バカな考えをなんとかして鎮めて、ちゃんと足元の今ある幸せを享受するのが人類の務めだとも思っていた。

 

それぞれのタイミングで考えていたことで、今はそう思っていないこともたくさんある。世界の秘密はもう、作る側に回った。日常の変化も、受け止める方法やどうしても変えたくない部分を守る方法を学んだ。多数の失敗を重ね続けて、自分は永遠にガキだなと思い知った。人生の意味はその時の自分だけが判断するのではなくて、周囲のひとや未来の自分も関係するのだから、今の自分ひとりで意味などを考えても仕方ないとわかった。そして、結局のところバカにつける薬はないことも分かった。

でもそのことをタイムマシンでそれぞれの時期の自分に伝えても、きっと全然理解してもらえないだろう。「何言ってんのこのおばさん??」で流される。自分のことだ、手に取るようにわかる。だから、今から過去の人生を振り返って後悔の類は全然ない。どうせ誤った選択に差し伸べられる救いの手を、それぞれのわたしは愚かにも誇り高く振り払うのだ。

35歳の自分がなにを考えているのか今はまだわからない。でもきっと彼女は、今のわたしが知らないことを知っていて、今のわたしが理解に苦しむことをやっているんだろうと思うと、ちょっぴり楽しみではある。

土鍋炊飯を全力で擁護する

イケダハヤト師に乗っかる訳ではないが、ご飯を土鍋で炊くようになってもう6年くらいにはなるので、この辺でひとつ土鍋での炊飯を全力で擁護してみたい。ついでに、土鍋炊飯をしてみるかしてみないか悩んでいるひとの参考になれば幸いである。

ちなみに使用している土鍋はこれ。

日本製萬古焼き みすずの 栗形 ごはん鍋 3合(三鈴窯日本製万古焼き)

日本製萬古焼き みすずの 栗形 ごはん鍋 3合(三鈴窯日本製万古焼き)

 

 1合用、3合用、5合用、7合用の4種類があるが、一人暮らしなら3合用をお勧めする。一合用は小さすぎて、返って取り扱いが難しい。もしたくさんご飯を食べるか、一度にまとめて3合以上のご飯を炊くか、ご飯土鍋を炊飯以外の用途で使いたいならば、もっと大きなサイズがよいかもしれない。

吹きこぼれが心配なら、ワンサイズ上を買っておくと間違いない。最大の7合用サイズでも、大きさは3合用炊飯器と同程度だ。それほど場所は取らない。

この土鍋にした理由は、内蓋がないので洗いやすいからだ。土鍋なのでやはり炊飯器の内釜よりかは重量がある。それと万古焼なので固めであり、伊賀焼などのような脆さがなく割れにくい。

中には使用方法を書いた説明書が入っていて、それに従えばまず失敗はない。

土鍋でご飯を炊くと火加減が難しいのでは?

炊飯用土鍋の場合、火加減は不要なので全然難しくない。とりあえず強火にしておいて、説明書に記載されている時間にキッチンタイマーを仕掛けておき、放置するだけだ。見ている必要もない。キッチンタイマーが鳴ったら火を消して更に放置するだけ。

段々慣れてきて、焦げ目をちょっとだけつけようなどとこだわりだすと火加減を自分で調整する必要が出てくるが、基本的には火加減は不要だ。

コンロを一つ占領するし時間を食うのでは?

炊くご飯の量にもよるが、加熱時間は10分足らずだ。火を止めた後は当然火から降ろして構わない。炊飯器よりはるかに早くご飯が炊ける。忙しい朝にもお勧めだ。

10分なんておかずの具材を切っているだけで過ぎ去る時間だ。一口しかコンロがない状況下で土鍋炊飯をしていたこともあるが、コンロを占領するなどという理由で困ったことはない。

保温機能がないんだけれど

ぶっちゃけ炊飯器の保温機能なんて電気を食うだけだ。土鍋で炊いたご飯は、そのまま土鍋で放置しておいても土鍋自体がご飯の水分を調湿してくれるので、いつまでもベチャっとせずに美味しいまま保存できる。ご飯を保存するお櫃には陶器製のものもあるが、ちょうどあんな感じでご飯を保存してくれる。食べる前に電子レンジで温めればいいし、冷ごはんでも十分美味しい。まるで炊き立ての冷ごはんのような味わいを楽しめる。

手入れが難しいのでは?

よほど大きなサイズの炊飯土鍋ならともかく、3合炊き程度なら圧力鍋を洗うよりも楽に手入れできる。炊飯器の金属製内釜よりかは重いが、土鍋タイプの内釜ならおそらく大差はない。

他のことに使えないよね?

貴様は炊飯器を買う時にご飯を炊く以外のことを考えて選んでいるのか?まぁ、最近は炊飯器クッキングも盛んなようなのでそういう人もいるのだろう。各種炊き込みご飯はもちろんのこと、コンフィやローストビーフ、煮込み料理などなど、炊飯器でできることは基本的に土鍋でもできる。ただ炊飯器ケーキだけは、この土鍋は上部がややすぼまっているために向かない。

うちはIHなんで……

あ、そりゃだめだ。失礼しました。

 

そんな訳で土鍋炊飯、お勧めです。なにかご質問がありましたらお気軽にお寄せください。

自殺予告を警察に通報したらどうなるか

自殺予告をオンライン上で見かけて、それを警察に通報したらどうなるか、自分の体験を覚書として記録しておく。もし自殺予告を通報するかどうかためらっているひとがいたら、一例として参考にしてもらえると嬉しい。

 

長文読んでいる余裕がないひとのためのまとめ:

●とりあえず以下の情報のうち上から順に分かるだけ用意しておけ。

  1. 自殺予告したひと(以下「対象者」)の本名、住所(大体でも構わない)
  2. 対象者の電話番号、メールアドレス
  3. 対象者のリアル知人の連絡先
  4. 対象者の生年月日
  5. 対象者の実家の住所・連絡先、所在地
  6. 対象者の学校/勤務先、およびその連絡先
  7. 対象者のTwitterFacebookmixi等のアカウント
  8. 対象者の家族構成
  9. そのほか、どんなことでも。

●自分と相手とはどんな関係なのか聞かれる。特にリアルで面識があるかどうかは重要。説明に困るならとりあえず「ネットの友人」でOK。

●自分の名前や住所、身分等を聞かれる。警察官が事情聴取のため自宅に来るか交番に呼び出されます。相手の住所が分からない場合、長丁場になると思う。

●事態が収束してからも警察から確認の電話がくることがある。

 

 

※これは執筆から大分間を空けた後の公開設定にしてあります。また本文中でもいくつかのフェイクを加えてあります。特定を避けるためです。もし万が一何の件か解ったとしても、特定はやめてください。

 

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自殺をしようとしていた女子学生がいた。仮にXちゃんと呼ぶ。わたしとXちゃんは学校も学年も違うけれど、Xちゃんの恋人が共通の知人だった縁で知り合って、Twitterでフォローしあい、たまに二人で遊びに行く仲だった。

Xちゃんはもともと精神的にもろいところがあった子だったけれど、恋人との関係が悪化して、どんどん様子がおかしくなっていった。毎日Twitterに「死にたい」と書き込み、わたしにも深夜に同様のメールや電話をしては「もう今日で死ぬ」と泣いていた。他のXちゃんの友人にも同様のメールや電話が行っていたらしい。精神薬の大量服用も繰り返していた。いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」状態が1ヶ月程度続いており、わたしを含めたXちゃんの知人は心配しながらも疲労していたと思う。

 

ある日の夜10時頃、XちゃんがTwitterに「今回は本気で死にます」と書き込み、証拠写真をアップロードした。またわたしの携帯にも「これから死にます、今までありがとう」とのメールが来た。わたしが彼女に電話すると「彼から完全に振られて、もう生きる意味がなくなった。これ以上生きるのがつらいし、本気で死ぬつもり」と言う。わたしがどんなになだめても思い直す様子はなく、わたしが「本気でやるなら警察に通報するからね?」と言うと「やれば?どうせわたしの家は解らないでしょう」と言って電話が切れた。

そこでこちらも本当に警察に通報しようと、まずは有害情報通報フォームを開いた。Twitter上で見かけた自殺予告だから、そこから通報するのが筋かなと思ったのだ。でもトップに「殺人・爆破・自殺予告など緊急に対応が必要な情報は、警察に110番通報してください」とあったから、110番通報することにした。

 

電話すると「事件ですか?事故ですか?」と聞かれる。「事件です。自殺予告を見たんですけれど」と言うと、まずわたし自身の情報、たとえば何処から電話しているのか、名前や簡単な住所を聞かれた。

それに答えると、次は「どこで自殺予告があったのか」を聞かれる。わたしはTwitterで自殺予告を見かけたこと、自殺しようとしている本人はリアルの知人で、メールや電話でも確認をしたこと、またXちゃんの本名や携帯の連絡先、身分等を話した。

「住所はわからないんですか?」と聞かれたので言葉に詰まった。わたしはXちゃんと知り合って日が浅く、彼女の自宅へ行ったことはなく、年賀状のやりとりなどもしたことがなかったので、住所はわからない。そう言うと「住所が分からないとどうにもならないんですけれどね」と何度か繰り返した後「大体でいいです、どこの所轄なのかわかるだけでも」と言われたので、以前雑談で耳に挟んだ彼女の自宅最寄り駅を伝えた。

すると「これから警察の者が詳しいお話を伺いにご自宅へ参りますが、よろしいですか?」と言われたので了承し、もう一度詳しい住所を説明した。夜遅かったけれどそんなことは言っていられない。「どんなことでもいいですから、Xさんに関わる情報を少しでも多く集めておいてもらえませんか」と言われて、電話はそこで切れた。

 

それから20分後くらいに地元の県警の警察官3人が自宅に来た。Xちゃんの住んでいる隣県ではなく、わたしの地元の県だ。詳しいお話を伺いたい、あがらせてもらうか、もしくは交番に来て欲しいということだ。ここから最寄の交番までは遠いので、自宅に上がってもらう。

3人の警察官に電話でも話した内容を再度伝え、PCを開いて問題の書き込みを見てもらったり、携帯に来たメールを見せたりした。住所はわからないのかと再度聞かれたので、わたしは知らないと伝える。彼女の恋人なら知っているかもしれないが、電話をしてもつながらない。すると「Xさんのご実家の県と、生年月日はわかりませんか?」と聞かれた。

実家の県は知っているが生年月日は知らない。そう伝えると警察官は「いいですか、Xさんの保護のためにはXさんの現住所がどうしても必要です。Xさんは自動車免許を取得されている可能性があります。それらの情報がわかればXさんの住所を割り出すことができます。携帯電話番号からの照会は日数がかかるし、Xさんの所属大学は夜間ですから問い合わせることができません。現時点では、免許の情報から割り出すのが一番早いです。なんとか手がかりはありませんか?」と説明した。

そこで正確な生年でないかもしれないが、彼女の学年や今までに聞いた情報から生年を類推した。また、これもまったく確実な情報ではないが、彼女のTwitter IDには日付ともとれる数字列が含まれており、おそらくこれなのではないかと警官に話した。結果的にはこれが正解だったらしく、免許情報からXちゃんの実家経由で彼女の住所を特定することとなる。これらの情報を話してから住所の特定までは90分程度だった。

 

警察官とそのような話をしていると、ちょうどXちゃん本人から携帯に電話がかかってきた。電話を取ると何か薬を服用しているらしく、テンションがいまいち普通ではない。

「本人から電話です」と短く伝えて電話を取る。とりあえず、Xちゃんと少しでも長く電話するのがわたしの務めだろう。わたしは隣の部屋へ移動し、Xちゃんと話をした。隣室では警察官たちが方々へ連絡を取り、特定を依頼している声がかすかに聞こえる。

Xちゃんは開口一番「警察呼んだって言うから待ってたのに、来ないじゃん」と言った。わたしは「本当に通報したから。今すぐ行くから。今行こうとしてお巡りさんが3人がかりで君の住所を特定しているところだから待ってて」と返事した。彼女は冗談だと思ったらしく軽く笑った。

そこから先はいつも通りの展開で、結婚まで考えていた恋人に振られてもう生きていけない、彼は絶対に離れないと言ったのに、もう誰も信用できないし、みんなわたしのことなんかどうだっていいと思っているんだ、と訴えるのをひたすら聞き、そんなことはない、みんな心配しているし死なれたら悲しい、と伝える。それにXちゃんはそんなことはない、みんなわたしを捨てるんだ。大体彼だって……と繰り返す。

Xちゃんとはこのところ連日のように深夜長電話をしていたから、いつも通りの会話を繰り返すだけで軽く70分は経った。疲労のためか、Xちゃんの様子は落ち着きはじめている。

 すると警察官の一人が隣室に来て、わたしに無言で「Xさんの住所が分かりそうです。彼女が自宅にいるかどうかを上手に確認してください」と書いたメモを見せた。Xちゃんの家は都市部にあり、周囲の音の様子から彼女が自宅にいることは確信していたが、一応確認のためにさりげなく話をする。

「とにかくさ、こんな雨の日に死ぬなんてよくないよ……そっちまだ降ってる?」

「外のことなんて知らないよ」

待機している警察官に「OK」と合図すると、警察官はどこかへ電話をかけた。

 

その直後、Xちゃんが「ちょっと待って、どこまで特定しているの?」と言い出した。わたしが「え?何のこと?」と返すと「今、親から着信があった。こんな時間に電話をかけてくるなんておかしい。もしかしてTwitterのフォロワーにクラスメイトがいたのかもしれない。学年名簿か何かを見て親に知らせたのかな」と言うので「え?でもXちゃん鍵アカだし、学校のリアル知り合いはフォローしてないんだよね?」と言うと「でもフェイクのアカで、本当はフォロワーにいたのかもしれない」と言う。

わたしが「でもXちゃんのフォロワーって数十人くらいだし、その可能性は低いと思う。それよりかは実家の方で誰かが危篤になったとか、そっちを疑ったら?」と言うと「それもそうかも、親に電話する」と言って電話を切った。

警察官たちに「今、Xさんのところに親御さんから電話があったそうです」と伝えると、彼らはすこしあわてた様子でどこかへ電話をかけ「親御さんがXさんに電話したそうです、もう踏み込みますか」と言い、わたしの方を振り返って「それでいいですか?」と聞いた。わたしが「その方がいいと思います、お願いします」と言うと、「通報者もそうしてくださいと言っています。お願いします」と電話に向かって伝え、電話を切った。

 

わたしが警察官たちにXさんは今のところ落ち着きを取り戻している、と話すと、ひとりが「結局、動機は何なんですか?」と聞いた。わたしが、彼女の交際相手の知人であること、最近Xちゃんは恋人とうまくいっておらず、ずっとわたしが相談に乗っていたこと、電話やメールでも彼に振られて生きていけないと再三言っていたことなどを伝えると、それらをメモしていた。

そこに警察官あてに電話がかかってきた。どうやらXちゃんを無事に保護したとの連絡で、肩の力が抜けた。警察官は電話の相手に「動機は恋愛トラブルのようです、彼氏と巧くいっていなかったらしいです」と短く伝え、電話を切った。

それからわたしの方に向き直り「すみませんが記録に残すので、あなたのことを教えてほしいのですが」と、名前・住所・生年月日・携帯の電話番号・職業を聞かれた。そしてどこかへ電話をかけ、Xちゃんを保護したこととわたしのプロフィールを伝え、「撤収します」と言った。そして警察官のひとりが「親御さんがあなたに直接お礼を言いたいと仰っています。ご連絡先をお伝えしてよろしいですか?」と聞いた。Xちゃんの今後が気になるので了承する。

そこで3人の警察官は立ち上がると「今回無事Xさんは保護されました。しかし警察では、Xさんに早まってはいけないと教え諭して帰すことしかできません。これから先Xさんにはご家族やご友人皆さんの支えが必要です。どうかこれからもXさんのことを支えてあげてください」と言った。わたしは「今回はありがとうございました」とお礼を述べ、玄関先まで3人を見送った。

 

翌日、Xちゃんのお母様から電話があった。Xちゃんを無事保護した、これからしばらくの間精神科に措置入院になるとのご連絡と、この度はありがとうございましたというお礼だった。わたしは良かったです、また何かありましたら是非知らせてください、と返事をした。

また、警察のサイバー犯罪対策室というところから電話があった。わたしの身元確認と昨日の簡単な経緯説明を求められた後、XちゃんのTwitterアカウントと自殺予告書き込みの詳しい内容、携帯のメールアドレスを知りたいと言う。怪訝に思いながらも答えると、こんな説明をしてくれた。

実はXちゃんのTwitter書き込みを見た複数のひとから同様の通報があり、中にはXちゃんのリアルの知り合いでないひとも含まれていた。それらの通報の元となった書き込みがすべて同一のものであり、かつXちゃん本人のものであるかどうかを確認するために、リアルの知人でかつXちゃんのTwitterアカウントを知っている人間の協力が必要だった。もしXちゃん以外の人物による書き込みであれば、別途対応が必要なところだった。今回あなたの証言によってこれらが確認できた、ご協力感謝します。資料にあなたの名前と連絡先を併せて記録しますが、よろしいでしょうか?

へぇなるほど、結構地味な作業をしているんだなと妙な関心をしながら了承した。

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これを書いているのは上記のことがあった翌日で、これは今からずっと未来に公開されるから、その時に本件がどのような事態になっているかは分からない。

この記録が通報をためらうひとの役に立てばと思う。何かご質問があればお気軽にお尋ねください。それと、これが公開される頃にはXちゃんが元気になってくれていることを祈る。

力を与える、必要とされる

正月も終わってしまったがまだ一応松の内だし誕生日でもあるので、新年の抱負ポエムを書いてみる。


RPGでは僧侶役が好きだった。あるいはエンチャンター、あるいは武器商人。自分自身が火力になるタイプではない。誰かを強くするのが好きだった。

リアルでも仕事は教師とか情報屋に分類されるようなことをやっている。何かの「情報」を必要とするひとにそれを提供する仕事だ。わたしの提供した情報によってクライアントが成果を上げるのを見るのは、自分が能力値を上げた戦士がガリガリと敵を削っていくのを見るように楽しい。

教育学とか図書館学の辺りにいるのもその所為だ。どちらも誰かに情報によって力を与えるための仕組みであり施設で、如何に多くの必要としているひとに効率的に必要な情報を提供するか、そこを考えるとてもエキサイティングな学問領域だ。

お節介と言われればそうなのかもしれないが、オンラインでもリアルでも、自分と対立するひとがあまりにも武器を持っていないと、自分の意見主張そっちのけで相手に塩を送ってしまう。自分の強化に興味がない訳ではないが、それでも自分自身が強くなったり自分の主張が通ったりするよりも、自分が能力値を上げた誰かが成果を上げるのを見ている方がずっと面白い。

小さい頃は軍師とか参謀になりたかった。自分は動かずに陰で誰かを操るってのが最高にカッコいいと思っていた。でも大人になって、口ばっかりで自分の手を動かさない奴は現実世界では最高にイタくてダサく見えるってことに気づいたから、今はそういうのになりたいとは思っていないけれど。裏方ってのはもっと泥臭いもので、だからこそ楽しいってことを知った。

よく成功した起業家や政治家なんかがスピーチで「自分一人の力ではない、みんながついてきてくれたおかげだ」などと話すけれど、わたしはああいうコメントはきれいごとだとは思わない。本心なのだと思う。
大体、教師だの起業家だの政治家だのというのは因果な商売で、自分にどういうスキルがあるかとか今までどういう社会的評価を受けてきたかなんてことは、直接的にはほとんど関係がない。みんなにどれほど力を与えられたか、みんながどれほどついてきてくれるか、それだけだ。能力を与えられない教師、支持を得られない政治家はそれだけでゴミも同然の存在で、それを考えるとこういう職業は他者による評価の依存度が最高であると言える。だから「みんながついてきてくれたおかげ」はその点で本心なのだと思う。

ひとに何かを教えるのはとてもエキサイティングだ。「人生を変える本」どころか、たった8バイト程度の情報を得るだけで人生が変わることはある。誰かの人生が、わたしが提供したささやかな情報で良い方向に転換すると生きていてよかったと思うし、逆に自分が伝えられた情報を持っていなかった所為でとても苦しんだひとを見ると残念で心が痛くなる。

全部ではないが、知っているだけで避けられる人生の苦悩はたくさんある。もしやりたいことをやれない理由が知識不足なんだとしたら、それは最高につまらないことだ。もっとそのひと自身がぶつかって苦しむべきオリジナルな人生の壁はほかにあるというのに。

大阪ブロガー万博で出会ったひとたち、特に id:foolishandweak さんや id:mememememiti さんと話していて、わたしはつくづくエンパワーメントが好きなのだなと自覚した。気づかせてくれてとてもありがたい。

誰かに必要とされると嬉しい。

2015年になったからと言って、それほど今までとやることが変わる訳ではないけれど、よりやりたいことにフォーカスしていきたい。つまり、誰かの役に立つ情報の生成に取り組んでいきたいと思っています。

 

 

エンパワード ソーシャルメディアを最大活用する組織体制 (Harvard Business School Press)

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