心を定量化する - 「アットホーム」な職場の値段はいくらか
このブログは物理学アドベントカレンダーの19日目です……が、お題は「精神物理学」です。すまない、このテキーラはサービスだから、まずは飲んで落ち着いてほしい。
うん、「精神物理学」って何だって?まぁ謝って許してもらおうとも思ってないし、できれば「ときめき」みたいなものも感じてもらいたいと思っているので、まずは僕の話を聞こうか。
精神物理学は1800年代にドイツで発祥した学問分野で、実験心理学(認知科学)、ひいては行動経済学の成立の礎になった学問であり、今ではこれ自体の研究に携わるひとはいない。フェヒナーという研究者が、従来は測定不可能とされていた人間の感覚--たとえば痛みとか暑さとか快感、ひいては喜怒哀楽までを定量的に"測定"し、あまつさえ外部刺激とその測定結果の関数まで作り出したのが最初だ。たとえば、ごく弱いスタンガンを当てられた時の痛みを1として(大抵の場合はこの「痛さ」の感覚をそろえるために実際に被験者にスタンガンを当てる)、タンスの角に小指をぶつけた時の痛さはいくつですか?などと質問する訳だ。
あ、この段階でガチ物理学クラスタのひとは耳から湯気が出そうですね?本当にすみません。でもこのお題で参加していいって言ったのはaetos氏なので文句はそちらにお願いします。
それで、認知科学の分野では感覚の測定に「尺度(scale)」というものを用いる。尺度は複数の質問で構成されたアンケート用紙のようなもので、測定される側の被験者はそれぞれの質問に1から5の段階で丸をつけていく感じのものだ。そして更に行動経済学では、感情的な損得を含めた全てを金銭に換算して「尺度」とする。
この、感情的な損得というのは面白いもので、実際に損した/得した金額と「気持の」金額は一致しない。キモいストーカーから押しつけられたプレゼントは例え1万円のものでもゴミ同然だが、恋人からもらったプレゼントは1000円の物でも家宝になる。有名なエピソードだと、1000円拾った嬉しさよりも1000円落とした悲しさの方が絶対値として上回る。では、1000円拾った嬉しさを「1000円」とすると、1000円落とした悲しさは一体いくらなんだろうか?
この行動経済学は正しく精神物理学の後継学問だから、つまり僕が行動経済学的なトピックを物理学アドベントカレンダーの19日目で話題にしても構わない訳だ。いやほんとすみません、話を続けます。
それで、今回の話題のためにちょろっと調べたのがタイトルの「『アットホーム』な職場はいくらか」というテーマだ。よく求人広告で「アットホームな職場です!」という宣伝文句がある。求人する側はアットホームな職場の方がそうでない職場よりも好まれると思っているからこのような宣伝文句を書くのだが、求職者の立場だとブラック企業の証として敬遠する傾向があるとも聞いた。とにかく、アットホームな職場をウリにする側は、それが好ましい要素だから、同じ待遇でアットホームな職場とアットホームでない職場があれば前者の方がより選ばれると考えているはずだ。それでは、アットホームな職場の方が月給が5000円低かったとしたら?1万円なら?
ここでアットホームな職場の給与をどんどん下げていき、アットホームでない職場との間で選好の逆転が起こる金額が分かったら、それがアットホームさの値段だ。求人する側はできるだけ低コストでひとを雇いたいと考えているはずだから、アットホームな職場は当然この値段ギリギリまで給与を下げているはずだ……まぁ乱暴な仮定だけれど。
そんな訳で今回はマイナビ転職に掲載されている全求人4727件から、「アットホームな」職場419件を抽出し、さらにそこからサンプルとしてランダムに20件を抽出。同じくアットホームでない職場からランダムに20件を抽出し、月給を比較した。
では結果(単位: 万円):
アットホーム | 非アットホーム | |
---|---|---|
平均 | 22.05 | 23.15 |
中央値 | 22 | 21 |
最低額 | 14 | 18 |
最高額 | 30 | 42 |
分散 | 16.7475 | 37.7275 |
平均値だけとると若干アットホームな職場の方が安く、これは予想を反映した。しかし分散は非アットホームな職場が非常に大きく、中央値だとアットホームな職場の方が非アットホームな職場を上回った。非アットホームな職場の方がアットホームな職場よりも最低額・最高額共に上回り、特にずば抜けて金額の高い求人があるのが非アットホーム群の特徴である。
とりあえず平均値だけ見ると、「アットホーム」のお値段は月にして11,000円、ということになる。
どうでしょう、納得のいく価格でしょうか?
あ、一番納得がいかないのは今日のお題ですよね。本当にすみませんでした。
こちらからは以上です。
予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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【閲覧注意※ネタバレ隔離】インターステラーの感想と疑問点
まずまだ見ていないひと向けの枕話。
とにかく映像と音楽は素晴らしい。というか「精神に傷を負う」レベル。こんなに傷つけられるほど圧倒的な力を持った映像、多分初代エヴァンゲリオンでアスカが使徒に精神侵食を受けるシーンのアレ以来だ。あれは当時リア厨だった世代には映像による精神レイプに等しかった。もしかしたらもっと若い世代だとまどか☆マギカの一部映像がそういう体験になるのかも?
さすがにわたしはもういい歳したBBAなので、圧倒的な映像の力で殴られたくらいならば一晩眠れなくなる程度のダメージしか受けないし、むしろ心に傷を負うほどの映像体験というのをこっちから求めてしまう。何度傷ついても、あれはいいものだ。そういう気持を味わいたいひとはぜひ見に行ってください。
ちなみに、映像の力というものが物語の文脈、更には観客を取り巻く文化的・社会的文脈から切り離されて存在する、という考えにはわたしは懐疑的だ。眼球を剃刀で裂かれる映像を見せられて、それを眼球だと判断できるのは観客が持っている文化的資本のおかげだ。だからこそSFの知識がないために本作の映像を堪能できない、ということがあったとしても、残念だがそれはそうかな?とは思う。それが分からない奴はアンダルシアの犬でもざくろの色でもなんでも見てクソして寝ろ、死ね。
……さてこれほどどうでもいい話で字数を稼いだのだから、もう本題に入っていいかな。うっかりネタバレを見ちゃうひとはもういないね?いないね?
↓↓↓(以下はネタバレを含みます)↓↓↓
プロットははっきり言って陳腐だ。SF的小道具が多く散りばめられてはおり、難解な本格SFとの評価も高いが、SFや宇宙や相対性理論について何ひとつ知らなくても十分に話の筋は理解できる。つまり愛の力で艱難辛苦を乗り越え万事オールオッケー。
愛は偉大だ。この世の色々な映画の中で、愛は難病を癒し死者を甦らせ貧困を解消し重力を捻じ曲げ時間を超え地球を救う。まさに現代エンタテイメント映画界のデウス・エクス・マキナだ。それが理解できるならば、この作品のプロットもやすやすと理解できる。
ただプロットがオーソドックスならドラマとして駄作かというとまったくそんなことはない。プロットが陳腐なだけでダメならこの世の大抵の物語などグリム童話の焼き直しだ。駄作でない物語がなくなってしまう。
本作はストーリーテリングという観点からだと傑作だ。冒頭の、アメリカの田舎を彷彿とさせる痩せたトウモロコシ畑を背景に、ひとりの平凡な老女が農夫であった父の思い出を語る。この典型的な農村のお婆さんが、実は人類を土星へ逃がし地球滅亡の危機から救った偉大なる宇宙物理学者マーフィー・クーパー博士その人であると明かされていく展開には驚くしかなかった。個人的には最初の段階でお察しの"幽霊"や"彼ら"の正体よりもこちらの方がよほどびっくりした。そう、むしろ片田舎の科学大好き少女に過ぎなかったマーフが、父への信頼と愛ゆえに苦しみながらも、その気持を礎についには地球を救うほどの大科学者となり、父との再会を経て自分も多くの子孫に囲まれながら一生を終える、マーフィーという一人の女性のビルドゥングスロマンスとして楽しんでしまった。荒涼とした農村風景とスペクタクルな宇宙空間の映像が交互に折り重なる演出もまた、彼女の成長の大きさや感情の揺れ動きを十二分に表現して胸に迫る。すいませんこういう言い方するとクーパー(父)影薄いね。めっちゃ大活躍の主人公だったのに。アメリア・ブラントさんもだけれど。まぁアン・ハサウェイ可愛いしオールオッケー。でも父の身体を張った大冒険が娘の成長を築いていって、それが本作の主題であった父娘の絆を表現する構図になっている、というのはあながち間違った映画読解ではないと思う。
そして物語としてはほむらちゃんが一回しか時間を巻き戻さず、まどかと真の和解に至ったような世界線のまどか☆マギカみたいな話だと思った。ほむらちゃんは永遠の少女なので老いがもたらす許しとか受容みたいなものを持てず、自我と自責と他罰の業火に永劫に焼かれる可哀相な女の子なんだけれど、もし彼女が老いて子どもを産み、自分の身体の衰えなども経験して、やがて時空を超えた人類愛みたいなものを感じることができたら、自ら志願して概念となり果てたまどかの気持もわかったと思うのだよね。そうなっていた世界のまどマギみたいな話。
ちなみにこれは全然関係ないのだけれど、父娘の物語としてなぜか平山夢明「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」(光文社文庫『独白するユニバーサル横メルカトル』収録)を思い出した。若くして不治の病に侵され余命幾許もない女が、顔も知らない父に正体を隠して会いに行き、望んで父から苛烈な拷問を受けた上殺される話だ。相当歪んではいるが、これもまた父娘の愛を描いた傑作のひとつではある。
父の娘、か。
さて、以下は疑問点。そもそも大抵のSFには物語の根幹にかかわるような甚大な疑問点やツッコミを抱いてしまい、いまいち物語に入り込めない。だからSF小説は読めない。物語については例によって本作にもそのような疑問を持ってしまったのだけれど、まぁ映像が素晴らしかったからよし。
1. 「他の惑星の居住可能性を探るだけなら無人機とロボットでよくね?なんで人間が行くの??」
ほんまこれ。TARS君のインテリジェントさや堅牢性、高性能っぷりを見るに、なにも人間が決死の覚悟で宇宙探索する必要はなかった。TARS君やKIPP君が行って地面や水のサンプルなり重力データなりを取得し土地の映像なりを撮影して帰ればよかった。終わり。てかまぁ人間が行くにしても、ビーコン置いて帰ればいいよね?なんでそこで帰還せずに現地での野垂れ死にが前提なんだ?とにかく人間が行く必然性がまったく感じられず、その上でマン博士の裏切りを見てもむしろ「ですよね~~普通そうしますよね~~~」としか思えなかった。むしろマン博士以外の、黙って職務を果たして死んでいった他の11人の心理の方がよほど理解に苦しむ。なんでああいう状況下で人間が使命感に燃えて黙って死ぬと思ったんだ?普通他人を騙してでも生きようとするだろと。そのところをちゃんと考えなかったのが、まぁ性善説を信じるにもほどがあるというか、ブラント博士(父)の世間知らずっぷりがよく出ているというか。
2. 「そもそも最初ッからガルガンチュアの特異点調べていたらよかったんじゃね?」
プランAを達成して人類を新天地へ送るためにはどうしてもガルガンチュアのデータが必要だった。しかしガルガンチュアはブラックホールであり、うっかり近づいたら死ぬ。したがってガルガンチュアの調査は不可能。よってプランAは完成しない。今の人類はみんな死に、他惑星の環境に適応できるよう準備された受精卵だけが生き残る。それを主人公に教えると「娘を救う」という動機で動いている彼は計画に賛成しないから、ブラント(父)はそのことを隠していた。OK、ここまではいいだろう。
でもロミリーさんがその後宇宙空間内であっさりと「ガルガンチュアは老いたブラックホールでパワーが弱まっており、ギリギリまで近づいて特異点にロボット(TARS君のことですが)を送りこむくらいならできる。TARS君の回収は不可能だが、TARS君は遠隔でデータを飛ばせるから大丈夫」みたいなことを言い出して、主人公も「そっか~じゃあやってみよう!」みたいなノリで賛成してしまう。おいおい。
専門教育を受けているとはいえ、一介の宇宙飛行士であったロミリーさんがそういう判断を下せて、かつ主人公も特に異論はなく同意しているところを見ると、ガルガンチュアのパワーが弱まっているというのは共通認識であり、ブラント(父)もそのことを知っていた可能性が十分にある。ならほんと、最初ッからロボットをガルガンチュアに送り込んでいたら済んだんじゃね?ロボットなら生還の必要もないんだし。なんでブラント先生はあっさりガルガンチュアの調査という選択肢を捨ててしまっていたんだ??どんな判断だよ???
3. 「何でミラーの星に行くんだよ?」
どんな判断だ??というのなら作中でこれがブッチぎりのグランプリだ。ミラーの星は重力場の影響で時間の流れが遅く、そこでの1時間が地球での7年間となる。ミラーの星には水や空気があるから人間が住めるかも!という話で調査に行くことになるが、主人公は一人だけ「1時間が7年間??調査の間に人類が滅んじまうぞ」と反対する。他にも人類が住めそうな星はもう2つあるのだからそっちへ行くべきだと主張するのだが、ミラーの星がたまたま一番近いからとかいう謎な理由で押し切られてしまう。
いや、それはない。
本件についてはどう考えても主人公の言うことが正しい。事実、3時間程度調査したおかげで人類が滅びかけた。他の星は遠くて行くのに2ヶ月かかるからとかいう理由で反対された訳だけれど、まさか宇宙飛行士が7年と2ヶ月も比較できないほど算数が分からないとは到底思えない。大体そんな星、万が一住環境が抜群だったところで、移住作業している間に人類みんな死んじゃうだろうと。これは本当に理解に苦しむ判断で、おかげで地球で苦しみぬいたマーフが可哀相で涙を禁じ得なかった。
4. 「アメリアさん助けろよ」
先の3つに比べると小ネタになるが、最後に数奇な運命のもとただ一人エドマンズの星に漂着したアメリアさんを助けに行くよう、死の床にあるマーフがクーパーに頼む。アメリアさんは恋人であったエドマンズが命がけで発見した約束の星に、エドマンズの死後もたった一人で残っているというのだ。その星こそが人類が住める新天地で、新たな地球となる星なのだと。
いや、そこまで分かっているなら誰か助けに行けよと。
アメリアさん(とエドマンズ)の所在や生死は彼らの所有している発信機により、逐一地球?に報告されているはずだ。だからこそマーフもアメリアさんの状況について知っていたのだろう。
最後、マーフが老衰を迎えるほど老いた世界では科学技術が進んでおり、宇宙飛行が当然のように行われている社会であることが示されている。最初、主人公が宇宙に旅立った時代とは比べ物にならないほど宇宙飛行が簡単になっているのだろう。なら、エドマンズの星に行きアメリアさんを助けるのも容易になっているはずだ。なんで主人公が目覚めるまで待っていたのか?花を持たせようとの演出ですか??いやそういうのいらねーだろさっさと誰か助けに行けよと。
[※追記※]
これを書いた後で別解を思いついた。Twitterでヒントくれた方ありがとうございます。
もしかしたらクーパー・ステーションにおいても、ワームホールを安全に抜けてガルガンチュアを迂回し気軽にアメリアさんのところに行く技術はないのかもしれない。そして身一つの不時着同然でエドマンズの星についたアメリアさんには、もうクーパー・ステーションと通信する手段もないのかもしれない。
その状況下においてマーフがアメリアさんとエドマンズの星の状況を知っていた理由は、アメリアさんと通信できていたからではなくて"彼ら"がマーフに特別に教えたからであり、マーフだけがそのことを知っていた。で、”彼ら”の存在を誰にも信じてもらえなかったマーフは(だからこそ彼女は世界的科学者の名声を恣にしたのだけれど)、ただひとり"彼ら"のことを知っている父に話してアメリアさんを助けるよう頼んだのかもしれない。
多分"彼ら"の技術をもってしても、最初にアメリアさんが予想していたほど簡単に過去の時空にはアクセスできない。マーフの部屋の本棚の裏につなぐのが精いっぱいで、だからこそマーフが選ばれた、という部分もあるのだろう。だから「もっと分かりやすい方法で情報を伝えろよ?!」という点は疑問に思わなかった。
クーパー・ステーションにおいても"彼ら"の存在を事実として確信しているのは(ブラント父娘がいない以上は)クーパー父娘だけで、だからこそアメリアさんの生存を確信し助けに行けるのは彼らしかいない……という話なんだろう。
ちなみにクーパー(父)がアメリアさんを愛していた、という解釈には賛成できない。作中の態度を見る限り、同志として信頼してはいても恋愛感情を読み取ることはできない。本作にはクーパー家とブラント家という2組の強い絆で結ばれた父娘がいて、それぞれがそれぞれの父-娘に対する愛情を感じとり、あるいは重ね合わせていたとしても、それを恋愛だと解釈するのは明らかに短絡的っつーか蛇足というか曲解に過ぎると思います。
こちらからは以上です。
ルンバの購入に反対しているのは夫なのか妻なのか
ルンバ購入に反対する配偶者として、下記の二説がある。
「夫が妻の家事の手抜きを許さず、ルンバを買い渋る」
「妻が家事の手抜きをしていると思われたくなく、ルンバを買い渋る」
こういうことはデータがないとどこまでいっても議論が平行線だから、本記事では定量的に考えたい。
まず、ルンバ……というかロボット掃除機への意識調査としてこのようなものがある。
ここのローデータを用い、「既婚者」かつ「ロボット掃除機の購入を考えていない」男女について以下の通りデータを抽出・加工した。
ではどうぞ。
で、これは購入を検討していない理由の一覧とその回答数。これは男女混合で、複数回答されている。
理由一覧はこちらの通り。
- 吸引力が十分か気になる
- 隅まで綺麗に掃除できるのか気になる
- 耐久性(長く使えるか)が気になる
- 稼働中の音が気になる
- 価格が高い
- 電気代が高い・高くつきそう
- サイズが大きい
- 好みのデザインがない
- 使いこなせるか不安(設定・操作など)
- そこまで家が広くない
- 間取り・配置・家具などが適さないと思う
- 小さな子供がいる・ペットがいる
- かえって面倒そう
- 家事を怠けていると思われたくない
- 掃除は自分の手でやりたい
- 特に欲しいと思わない、またはすでに持っている
- その他
トップ3の理由は「価格が高い」「隅まできれいに掃除できるか気になる」「間取りなどが適さない」で、下から3つの理由が「好みのデザインがない」「家事を怠けていると思われたくない」「サイズが大きい」だ。
まぁつまりその、そういう訳ですね。
そんじゃーね!
大阪ブロガー万博に参加します
和田一郎様(id:yumejitsugen1)主催の大阪ブロガー万博に参加表明しました。
ご参加はこちらからです。
一応大阪人だし、和田一郎様やはせおやさい様にはお目にかかってみたかったし、はてなブログもはてなダイアリーももう一つブログもアクティブに運用してるのでブロガーの条件には該当するよな、うん、ということで参加者の皆様よろしくお願いいたします。優しくしていただけますと幸いです。
他にも大阪にはあんまりパブリックなオフ会ないよなぁとか、最近大阪と名の付く町おこしイベントにかかわってそれがとんでもない黒歴史に終わったから心が癒されるような楽しいご当地イベントに参加したかったとかいう動機もあります。この話はいずれほとぼりが冷めたら厄落としにしたいなぁ……
Twitterよりも更に気軽でClosedな個人用情報発信ツールが流行っている昨今、ブログどころかパーマリンクがもう古いとか言われてしまっているレベルですが、それでもある程度の量の情報をパーマリンクつけて発信する行為の意義が消える訳ありません。
そのためにブログというツールを使うかどうかはまた別の問題ですが、でもライトなCMSとしてのブログツールはすっかりコモディティ品となりましたし、特別な理由がない限り長文をインターネッツ上に置きたい場合はブログツールを選択するのが一般的かなと思います。もう今となってはいちいちHTMLとか書いてられないよね!
当日を楽しみにしております。
黄鉄鉱の引き取り先を探しています
高校生の頃に買い集めた黄鉄鉱ですが、飾る場所がないので手放そうと思っています。引き取り先を探しています。
全部スペイン・ナバフン鉱山産の立方体黄鉄鉱です。東京国際ミネラルフェアでゲットしました。
可愛がって下さる方、もしくは可愛がって下さる方を見つけてくれるお店を教えてください。自薦他薦問いません。全員一気に引き取っていただいても結構ですし、この子がほしいというご指名もOKです。
ご連絡はtwitter @liliput、あるいはこの記事のコメント欄に頂けますと幸いです。更にアップの写真がご入用の場合はお知らせください。
複雑な形をしている小さい子たち勢ぞろい。
そろそろ問題解決能力について一言いっておくか
ここで問われているのは、問題解決の能力であり、批判的思考法という学力である。こうした面では、日本は劣っていると日本国内的なイメージでは思われていたのだが、記事を読むとそうでもない。
調査結果についてまず極東ブログ様の元記事をお読み頂くとして、本稿ではそもそも問題解決能力とは何を指すか、PISAでは何を測定しているのかについてまとめる。
なお、日本の問題解決能力調査結果は以下の通りOECDによる公式のカントリーノートが出ている。
http://www.oecd.org/pisa/keyfindings/PISA-2012-PS-results-jpn-JAPAN.pdf
まずおさらい。
PISAとはOECDが15歳児を対象に、3年おきに実施している国際的な学習到達度調査だ。最新の実施は2012年で、我が国では15歳の高校1年生6,300人が参加した。
元々は数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーの3つについて調査していたが、2012年度はそれに加えて問題解決能力が追加された。したがって、問題解決能力については過去のデータは存在しない。
PISA2012による問題解決能力の定義
"… 解決の方法が直ぐには分からない問題状況を理解し、問題解決のために、認知的プロセスに関わろうとする個人の能力。そこには建設的で思慮深い一市民として、個人の可能性を実現するために、自ら進んで問題状況に関わろうとする意思も含まれる。"
問題解決能力の調査は、解決のための専門的知識の求められない問題(例えば、なじみのない自動券売機において、すべての条件を満たしながら一番よいチケットを買うといった問題)を生徒たちに尋ね、生徒の一般的な推論能力や問題解決に向けてのプロセスを組み立てる能力、それに進んで取り組む意思に焦点を合わせている。
一方、数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーに関するPISAの通常の調査に問題解決の課題が含まれる場合、これらの問題を解くには、問題解決能力に加えて、カリキュラムの知識が求められている。(改行は引用者による)
http://www.oecd.org/pisa/keyfindings/PISA-2012-PS-results-jpn-JAPAN.pdf
これだけでは抽象的すぎてわかりにくいだろうから、以下に測定に使用された問題例を掲載する。
日本語版の問題例は以下より引用した。
http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/pisa2012_item_ps.pdf
実際の問題に挑戦したい方は下記リンクから。
http://cbasq.acer.edu.au/index.php?cmd=toProblemSolving
批判的思考力?問題解決能力?
上記のテストによって測定される能力が一般的な意味での「問題解決能力」に該当するかどうかはここでは問わない。でも、ぜひ多くのひとのご意見を聞いてみたいテーマだ。
結構多くのひとが「こんなのだとは思わなかった!」という感想を持つのではないだろうか?見慣れぬ自動販売機や地図、MP3プレイヤーの操作法など「いや……確かにそーゆーのも生活で直面する『問題』ではあるけれどさぁ……もっとこう……」
もっとこう?
もっとこう、何だったら「これぞ問題解決能力だ!」と思えるのか?
それは如何なるテストで測れる能力なのか?
少なくともこのPISAで測定された「問題解決能力」には、「批判的思考」の能力はほとんど含まれていない。批判的思考が何であるかについては諸定義があるが、大半がある意見や論説を批判的に検討する能力を指している。批判的思考力はどちらかというと「リテラシー」に近いものだ。
1930年代から認知科学領域においてその概念が検討され続け、定義について一応のコンセンサスが得られている批判的思考にくらべて、問題解決能力はより多くの分野で様々なアプローチから検討されているために、未だ共通の定義と言えるものが存在していないように見える。領域によって実効性のある「問題解決能力」の内実は異なるだろうから、個人的には問題解決能力の中に何を含めるかは今のところ各人の自由で結構だと思っている。
ただその自由度の高さの所為で、問題解決能力という言葉の持つ情報量が少なくなってしまっている。「問題解決能力」という言葉を使う際は、定義を測定方法込みで提示してほしいと常々思っている。
特に企業の採用担当者で「問題解決能力が高い人材が欲しい」などと言っているところは、具体的に何ができたら「問題解決能力が高い」と判定されるのか、一度検討してみるといいんじゃないだろうか。なにか御社は問題を抱えているから問題解決能力が高い人材が欲しいんだろう?その高い問題解決能力で解決してほしい御社の課題は一体なんなのか?
----結論: テストを書け、テストを。
大阪市長選ならびに大阪都構想についての一市民の見解
※発言はすべて個人の感想です。
しかし、橋下徹さんは言うまでもなく、その対抗候補が事前の予想をはるかに上回る面白ピーポーで固められている現状を、大阪市にお住まいの皆さまはどうお感じになられているのでしょうか。
と都民の方からお尋ねがあったので一市民の見解をご紹介する。
まず自己紹介。関西人歴12年、うち大阪人歴5年。主に大阪市内キタエリアに居住しているが、阪南エリアもちょろちょろ。まだあべのハルカスには行ってない。大阪に来る前は都民だったが関西のメシが旨すぎるのでもう東京に戻りたくはない。
橋下市長については概ねよくやって下さっているとは思ってはいるが最近はどうもお仕事に雑さが目立つし、かつ都構想にはまったく賛成できない。本件については後述する。
で、今回の選挙についてどう思っているかですって?
よほど維新の会の熱心な支持者でない限り、今回の選挙に道理も大義もないことは全大阪人が理解している。しかし、実のところどうしようもなかったし今この瞬間においてもどうしたらいいのか分かっているひとはいないのではないだろうか。
ぶっちゃけ都構想について理解なり賛成なりをしている市民は多数派ではない。しかしながら市長は大変にご意志の強い方であらせられるし、彼を無理に引きずりおろして再選挙したところで対立候補は今回の通りお察しだ。一体何をどうやればこの事態が打開できるというのか?この心境を一言で説明するなら「あきらめ」だ。
この辺りの気持は都民も同じではないだろうか。誰も前回の都知事選に満足なんかしていないのだろうが、ではどうすればそんな事態を解決できたというのか?「ロクな候補者がいない」という問題の根はあまりにも広く深い。こんな時、現行の選挙制度の限界を感じてしまう。
(see also: 理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書))
事態はなるべくしてこうなったし、誰にも止められなかった。天災と一緒だ。ならば精々税金を使った分くらいはおもろいお祭として今回の選挙を消費するしかないんじゃない??いやーー本当におもろいメンツが集まって嬉しいわーーお笑いの街の面目躍如だわーー( ゚∀゚)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\
……以前に都民と大阪市民と武雄市民と阿久根市民辺りで「スチャラカな首長を頂く市民の会」を結成し「本ッ当にウチのメイヤーはしょうがねーよなー」とグダグダ飲んだくれる宴会をしたいと構想していたが、今でもその気持は変わらない。該当する市民の方、よろしければご一緒に飲みませんか?
今回の選挙に関する感想ですが、こちらからは以上です。
ここからは都構想についての話。
都構想についての詳細はこちらに維新の会による公式サイトがあるからそちらをご覧いただきたい。
大阪都構想 二重行政のムダをなくす。豊かな大阪をつくる。|大阪維新の会(日本維新の会 大阪府総支部)
ざっくり説明するとこういうロジックだ。
・大阪は大都市なのにどうも貧乏で景気が悪い。それはなぜか?
→それは大阪市と大阪府とで足並みを揃えずバラバラに予算を使い、それが全部無駄になったからだ。二重行政が悪いんや!!
→したがって大阪市を大阪都にし二重行政を解消すれば万事解決!
→大阪都で全体的な成長戦略を、都内各区できめ細やかな基礎自治サービスを提供するよ!これで役割分担完璧、二重行政は解消される!
我が国には現在20の政令指定都市がある。実は大阪府内にももう一つ堺市があるのに、なぜかそっちは完全放置だ。横浜市民でも、名古屋市民でもいいが、自分のところの市長がある日こんなことを言い出したらどんな気持がする?とりあえず頭痛はするでしょ??
それで市長が乱心したから取り換えようと思っても、対立候補は下手な吉本芸人よりおもろいキャラばっかりなんやでーー( ゚∀゚)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\
……実のところ橋本市長は大阪都構想を市長になる前から提唱していたから、大阪市民は彼を乱心していると知りながら当選させた訳なのだが、大阪市民の大半は今に至るまで大阪都構想を脱原発くらいには「できっこない」と思っている。だから市長がどんなに大阪都構想を声高に唱えようが、ほとんど実害はないのだ。まぁたまにこうして6億円くらい無駄にされるくらいである。
その上で都構想については下記の点に強い懸念がある。
- 大阪市が貧乏なのは本当であり、その原因に税金のムダづかいもあるだろうが、それは本当に二重行政の解消によって解決するのか?
- そもそも都の掲げる成長戦略とは何なのか?
- 二重行政は都構想によってしか解消できないのか?
まず第一の点。
Q.08二重行政のせいで、どれくらいの税金がムダになったの?
これまで大阪府、大阪市は、類似の施設やプロジェクトに競い合うように税金を費やしてきました。こうした二重行政による「お金のムダ」は膨大な額にのぼります。例えば、大阪府はりんくうゲートタワービルに659億円、大阪市はWTCに1,193億円の税金を投入しましたが、どちらの事業も破綻しました。それ以外にも二重にムダな税金が費やされてきた施設、プロジェクトは枚挙にいとまがないくらいです。こうした「お金のムダ」を無くすのが大阪都構想です。
「大阪都構想について|都構想のQ&A|大阪都構想 二重行政のムダをなくす。豊かな大阪をつくる。|大阪維新の会(日本維新の会 大阪府総支部)」
例に挙げられているりんくうゲートタワーとWTCだが、両者は地理的にかなり離れているものの、どちらもオフィスビルとして使用したいとは到底思えないほど辺鄙なところにある。東京都で例えると……そうだな、片方は成田空港横づけでもう片方が東久留米とか?
両方とも破綻したのは事実だが、その原因はどちらもロクな見通しなく辺鄙なところに分不相応な巨大ビルを建設したからであり、府と市がバラバラに事業を行ったからではない。府と市が連携してどちらか片方のみに建てていたら成功していたとでもいうのか?断言してもいいが、建設されたのがWTCだけだったところで結果は同じだっただろう。他の事業についても同様だ。
府も市も税金の無駄遣いをしているのは確かかもしれないが、その原因は二重行政などではない。根本的に税金投資のポリシーが誤っている。このポリシーを修正しない限り、二重行政が解消されようがなんだろうが結果は同じだ。
次に第二の点。
維新の会のひとたちは「成長戦略」が口癖だ。廻るピンクドラムを彷彿とさせるレベルである。しかしその「成長戦略」の中身が何であるか、一般の大阪人はマトモに聞かされたことがない。精々カジノ構想ぐらいか?しかしそのカジノ構想もなぜか一度失敗済みの南港エリア(先述のWTCがあるところね)を再開発してカジノを作るとかいうもので、なぜ一度焦土になった野辺に更に税金を投入するのかさっぱり意味がわからなかった。
まだほかにももっとマシな成長戦略があるのかもしれない。しかし個人的には「成長戦略」なるものを大阪府全域で一本化すべきなのかどうか、という点から疑問を持っている。大阪府は広く、地政学的にも多様性がある。どんな成長戦略だか知らないが、泉佐野市と大阪市と能勢町で同じ戦略が通用するとは思えない。むしろ全体で共通のサービスを提供すべき基礎自治サービスこそ広域で取り組み、成長戦略は地域の多様性を重んじるべきではないだろうか?
そして第三の点。
二重行政問題は大阪だけの問題ではなく、政令指定都市を抱える多くの土地で発生している。政令指定都市は権限が大きく、他の街なら都道府県が担当する領域にまで足を踏み込んでいるので、いわゆる二重行政問題が発生するのだ。
これを解消するには大阪都なんかにする必要はなく、単に大阪府が大阪市から手を引けばいいのである。警察や河川の管理はさすがに移譲が現実的でない事務だが、かぶっている領域については手を引けるはずだ。
Q.07二重行政は「大阪都」にしなければ解消できないのか?
できません。組織と指揮命令系統の一本化がどうしても必要です。
「大阪都構想について|都構想のQ&A|大阪都構想 二重行政のムダをなくす。豊かな大阪をつくる。|大阪維新の会(日本維新の会 大阪府総支部)」
大阪府が大阪市から撤退すれば組織も指揮命令系統も問題なく一本化される。
個人的には以前から「都道府県、いらないんじゃない?」と思っていた。広域にかかる事務や行政を執り行うには一部事務組合や広域連合という制度がある。現行の都道府県の垣根を越えて、市区町村レベルで組むべき街と組めばいいのだ。都道府県という区分けの仕方はあまり実情に沿っているとは思えない。なぜ尼崎が大阪ではなく兵庫なのか?とか。
そんなに二重行政が嫌なら、いっそいくつかの事務を処理するための広域連合のみを残して大阪府を廃止してはどうだろうか。市を解体するのではなく府が消滅するという選択肢が検討されないのはなぜなのか?この方が維新の会がモデルとして掲げる諸外国の連合市制度にも合っていると思うのだが。