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エルの楽園

Twitterで垂れ流すには見苦しい長文を置きます。 あ、はてな女子です。

【閲覧注意※ネタバレ隔離】インターステラーの感想と疑問点

まずまだ見ていないひと向けの枕話。

とにかく映像と音楽は素晴らしい。というか「精神に傷を負う」レベル。こんなに傷つけられるほど圧倒的な力を持った映像、多分初代エヴァンゲリオンでアスカが使徒に精神侵食を受けるシーンのアレ以来だ。あれは当時リア厨だった世代には映像による精神レイプに等しかった。もしかしたらもっと若い世代だとまどか☆マギカの一部映像がそういう体験になるのかも?

さすがにわたしはもういい歳したBBAなので、圧倒的な映像の力で殴られたくらいならば一晩眠れなくなる程度のダメージしか受けないし、むしろ心に傷を負うほどの映像体験というのをこっちから求めてしまう。何度傷ついても、あれはいいものだ。そういう気持を味わいたいひとはぜひ見に行ってください。

ちなみに、映像の力というものが物語の文脈、更には観客を取り巻く文化的・社会的文脈から切り離されて存在する、という考えにはわたしは懐疑的だ。眼球を剃刀で裂かれる映像を見せられて、それを眼球だと判断できるのは観客が持っている文化的資本のおかげだ。だからこそSFの知識がないために本作の映像を堪能できない、ということがあったとしても、残念だがそれはそうかな?とは思う。それが分からない奴はアンダルシアの犬でもざくろの色でもなんでも見てクソして寝ろ、死ね。

 

……さてこれほどどうでもいい話で字数を稼いだのだから、もう本題に入っていいかな。うっかりネタバレを見ちゃうひとはもういないね?いないね?

 

 

↓↓↓(以下はネタバレを含みます)↓↓↓

 

 

プロットははっきり言って陳腐だ。SF的小道具が多く散りばめられてはおり、難解な本格SFとの評価も高いが、SFや宇宙や相対性理論について何ひとつ知らなくても十分に話の筋は理解できる。つまり愛の力で艱難辛苦を乗り越え万事オールオッケー。

愛は偉大だ。この世の色々な映画の中で、愛は難病を癒し死者を甦らせ貧困を解消し重力を捻じ曲げ時間を超え地球を救う。まさに現代エンタテイメント映画界のデウス・エクス・マキナだ。それが理解できるならば、この作品のプロットもやすやすと理解できる。

ただプロットがオーソドックスならドラマとして駄作かというとまったくそんなことはない。プロットが陳腐なだけでダメならこの世の大抵の物語などグリム童話の焼き直しだ。駄作でない物語がなくなってしまう。

本作はストーリーテリングという観点からだと傑作だ。冒頭の、アメリカの田舎を彷彿とさせる痩せたトウモロコシ畑を背景に、ひとりの平凡な老女が農夫であった父の思い出を語る。この典型的な農村のお婆さんが、実は人類を土星へ逃がし地球滅亡の危機から救った偉大なる宇宙物理学者マーフィー・クーパー博士その人であると明かされていく展開には驚くしかなかった。個人的には最初の段階でお察しの"幽霊"や"彼ら"の正体よりもこちらの方がよほどびっくりした。そう、むしろ片田舎の科学大好き少女に過ぎなかったマーフが、父への信頼と愛ゆえに苦しみながらも、その気持を礎についには地球を救うほどの大科学者となり、父との再会を経て自分も多くの子孫に囲まれながら一生を終える、マーフィーという一人の女性のビルドゥングスロマンスとして楽しんでしまった。荒涼とした農村風景とスペクタクルな宇宙空間の映像が交互に折り重なる演出もまた、彼女の成長の大きさや感情の揺れ動きを十二分に表現して胸に迫る。すいませんこういう言い方するとクーパー(父)影薄いね。めっちゃ大活躍の主人公だったのに。アメリア・ブラントさんもだけれど。まぁアン・ハサウェイ可愛いしオールオッケー。でも父の身体を張った大冒険が娘の成長を築いていって、それが本作の主題であった父娘の絆を表現する構図になっている、というのはあながち間違った映画読解ではないと思う。

そして物語としてはほむらちゃんが一回しか時間を巻き戻さず、まどかと真の和解に至ったような世界線のまどか☆マギカみたいな話だと思った。ほむらちゃんは永遠の少女なので老いがもたらす許しとか受容みたいなものを持てず、自我と自責と他罰の業火に永劫に焼かれる可哀相な女の子なんだけれど、もし彼女が老いて子どもを産み、自分の身体の衰えなども経験して、やがて時空を超えた人類愛みたいなものを感じることができたら、自ら志願して概念となり果てたまどかの気持もわかったと思うのだよね。そうなっていた世界のまどマギみたいな話。

ちなみにこれは全然関係ないのだけれど、父娘の物語としてなぜか平山夢明「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」(光文社文庫『独白するユニバーサル横メルカトル』収録)を思い出した。若くして不治の病に侵され余命幾許もない女が、顔も知らない父に正体を隠して会いに行き、望んで父から苛烈な拷問を受けた上殺される話だ。相当歪んではいるが、これもまた父娘の愛を描いた傑作のひとつではある。

父の娘、か。

 

さて、以下は疑問点。そもそも大抵のSFには物語の根幹にかかわるような甚大な疑問点やツッコミを抱いてしまい、いまいち物語に入り込めない。だからSF小説は読めない。物語については例によって本作にもそのような疑問を持ってしまったのだけれど、まぁ映像が素晴らしかったからよし。

 

1. 「他の惑星の居住可能性を探るだけなら無人機とロボットでよくね?なんで人間が行くの??」

ほんまこれ。TARS君のインテリジェントさや堅牢性、高性能っぷりを見るに、なにも人間が決死の覚悟で宇宙探索する必要はなかった。TARS君やKIPP君が行って地面や水のサンプルなり重力データなりを取得し土地の映像なりを撮影して帰ればよかった。終わり。てかまぁ人間が行くにしても、ビーコン置いて帰ればいいよね?なんでそこで帰還せずに現地での野垂れ死にが前提なんだ?とにかく人間が行く必然性がまったく感じられず、その上でマン博士の裏切りを見てもむしろ「ですよね~~普通そうしますよね~~~」としか思えなかった。むしろマン博士以外の、黙って職務を果たして死んでいった他の11人の心理の方がよほど理解に苦しむ。なんでああいう状況下で人間が使命感に燃えて黙って死ぬと思ったんだ?普通他人を騙してでも生きようとするだろと。そのところをちゃんと考えなかったのが、まぁ性善説を信じるにもほどがあるというか、ブラント博士(父)の世間知らずっぷりがよく出ているというか。

 

2. 「そもそも最初ッからガルガンチュアの特異点調べていたらよかったんじゃね?」

プランAを達成して人類を新天地へ送るためにはどうしてもガルガンチュアのデータが必要だった。しかしガルガンチュアはブラックホールであり、うっかり近づいたら死ぬ。したがってガルガンチュアの調査は不可能。よってプランAは完成しない。今の人類はみんな死に、他惑星の環境に適応できるよう準備された受精卵だけが生き残る。それを主人公に教えると「娘を救う」という動機で動いている彼は計画に賛成しないから、ブラント(父)はそのことを隠していた。OK、ここまではいいだろう。

でもロミリーさんがその後宇宙空間内であっさりと「ガルガンチュアは老いたブラックホールでパワーが弱まっており、ギリギリまで近づいて特異点にロボット(TARS君のことですが)を送りこむくらいならできる。TARS君の回収は不可能だが、TARS君は遠隔でデータを飛ばせるから大丈夫」みたいなことを言い出して、主人公も「そっか~じゃあやってみよう!」みたいなノリで賛成してしまう。おいおい。

専門教育を受けているとはいえ、一介の宇宙飛行士であったロミリーさんがそういう判断を下せて、かつ主人公も特に異論はなく同意しているところを見ると、ガルガンチュアのパワーが弱まっているというのは共通認識であり、ブラント(父)もそのことを知っていた可能性が十分にある。ならほんと、最初ッからロボットをガルガンチュアに送り込んでいたら済んだんじゃね?ロボットなら生還の必要もないんだし。なんでブラント先生はあっさりガルガンチュアの調査という選択肢を捨ててしまっていたんだ??どんな判断だよ???

 

3. 「何でミラーの星に行くんだよ?」

どんな判断だ??というのなら作中でこれがブッチぎりのグランプリだ。ミラーの星は重力場の影響で時間の流れが遅く、そこでの1時間が地球での7年間となる。ミラーの星には水や空気があるから人間が住めるかも!という話で調査に行くことになるが、主人公は一人だけ「1時間が7年間??調査の間に人類が滅んじまうぞ」と反対する。他にも人類が住めそうな星はもう2つあるのだからそっちへ行くべきだと主張するのだが、ミラーの星がたまたま一番近いからとかいう謎な理由で押し切られてしまう。

いや、それはない。

本件についてはどう考えても主人公の言うことが正しい。事実、3時間程度調査したおかげで人類が滅びかけた。他の星は遠くて行くのに2ヶ月かかるからとかいう理由で反対された訳だけれど、まさか宇宙飛行士が7年と2ヶ月も比較できないほど算数が分からないとは到底思えない。大体そんな星、万が一住環境が抜群だったところで、移住作業している間に人類みんな死んじゃうだろうと。これは本当に理解に苦しむ判断で、おかげで地球で苦しみぬいたマーフが可哀相で涙を禁じ得なかった。

 

4. 「アメリアさん助けろよ」

先の3つに比べると小ネタになるが、最後に数奇な運命のもとただ一人エドマンズの星に漂着したアメリアさんを助けに行くよう、死の床にあるマーフがクーパーに頼む。アメリアさんは恋人であったエドマンズが命がけで発見した約束の星に、エドマンズの死後もたった一人で残っているというのだ。その星こそが人類が住める新天地で、新たな地球となる星なのだと。

いや、そこまで分かっているなら誰か助けに行けよと。

アメリアさん(とエドマンズ)の所在や生死は彼らの所有している発信機により、逐一地球?に報告されているはずだ。だからこそマーフもアメリアさんの状況について知っていたのだろう。

最後、マーフが老衰を迎えるほど老いた世界では科学技術が進んでおり、宇宙飛行が当然のように行われている社会であることが示されている。最初、主人公が宇宙に旅立った時代とは比べ物にならないほど宇宙飛行が簡単になっているのだろう。なら、エドマンズの星に行きアメリアさんを助けるのも容易になっているはずだ。なんで主人公が目覚めるまで待っていたのか?花を持たせようとの演出ですか??いやそういうのいらねーだろさっさと誰か助けに行けよと。

[※追記※]

これを書いた後で別解を思いついた。Twitterでヒントくれた方ありがとうございます。

もしかしたらクーパー・ステーションにおいても、ワームホールを安全に抜けてガルガンチュアを迂回し気軽にアメリアさんのところに行く技術はないのかもしれない。そして身一つの不時着同然でエドマンズの星についたアメリアさんには、もうクーパー・ステーションと通信する手段もないのかもしれない。

その状況下においてマーフがアメリアさんとエドマンズの星の状況を知っていた理由は、アメリアさんと通信できていたからではなくて"彼ら"がマーフに特別に教えたからであり、マーフだけがそのことを知っていた。で、”彼ら”の存在を誰にも信じてもらえなかったマーフは(だからこそ彼女は世界的科学者の名声を恣にしたのだけれど)、ただひとり"彼ら"のことを知っている父に話してアメリアさんを助けるよう頼んだのかもしれない。

 

多分"彼ら"の技術をもってしても、最初にアメリアさんが予想していたほど簡単に過去の時空にはアクセスできない。マーフの部屋の本棚の裏につなぐのが精いっぱいで、だからこそマーフが選ばれた、という部分もあるのだろう。だから「もっと分かりやすい方法で情報を伝えろよ?!」という点は疑問に思わなかった。

クーパー・ステーションにおいても"彼ら"の存在を事実として確信しているのは(ブラント父娘がいない以上は)クーパー父娘だけで、だからこそアメリアさんの生存を確信し助けに行けるのは彼らしかいない……という話なんだろう。

ちなみにクーパー(父)がアメリアさんを愛していた、という解釈には賛成できない。作中の態度を見る限り、同志として信頼してはいても恋愛感情を読み取ることはできない。本作にはクーパー家とブラント家という2組の強い絆で結ばれた父娘がいて、それぞれがそれぞれの父-娘に対する愛情を感じとり、あるいは重ね合わせていたとしても、それを恋愛だと解釈するのは明らかに短絡的っつーか蛇足というか曲解に過ぎると思います。

 

こちらからは以上です。