エルの楽園

Twitterで垂れ流すには見苦しい長文を置きます。 あ、はてな女子です。

【※ネタバレ】シン・ゴジラ、個人的にリアリティを感じるポイントの話

そろそろシン・ゴジラの感想合戦も落ち着いたっぽいのでひっそり感想を垂れ流す。ちなみに鑑賞回数は2回です。

一応ネタバレを防ぐために関係ない話を枕にします。未閲覧者はこの隙に回れ右してください。

 

2001年9月11日、21時前だったかな、連日の夜間勤務に疲れたわたしは、一休みしようとひとりで仕事をしていた部屋を離れて休憩室へ入った。その部屋は広くてテレビとソファーと本棚があって、どんな時間でもいつも誰かしらがいるのだ。

その晩も何人かいて、みんながテレビを見ていた。凝視していた。全員が息をするのも忘れたような顔で。

テレビにはビルに飛行機がぶつかる瞬間の映像が何度か繰り返し映し出されていて、ニュースキャスターがやや高い声で何事かをまくしたてていた。わたしは皆が面白いパニック映画でも見ているのかと思い、なになんなのと聞きながらソファーの空いた席に入り込んだ。

やがて聞き取れたキャスターの言葉と、テレビを見ていた他の子たちの断片的な説明を聞くにつれて次第に意味が分かってきた。つまり、これが映画でも録画でもなんでもなくて、今この瞬間にニューヨークで本当に起こっている事態だということが。

不意に隣の子がぼそっと「あ、もう一つきた」とつぶやいた。ニュースキャスターは「二機目です!二機目です!」と叫び続けた。画面右手からすーっと飛んできたボーイングは何のタメも演出もなく徐にWTCにぶつかり、ビルは割と柔らかそうにボコッと飛行機を受け止めて、その部分が崩れた。

テレビカメラは飛行機の全体とビル上部とを収める程度に離れて撮影しており、少なくとも見えた範囲では人影らしきものは映らなかった。でもあのビルは実在するWTCで、今のニューヨークは現実の平日の日中で、あの中にたくさんの、本物の生きた人間がいることは世界中の誰もが知っていた。にんげんがいる。息ができなかった。

死んだ人間は見たことがあった。死にそうな人間も。フィクションやドキュメンタリー映像の中で扱われた人間の死もたくさん見ていた。でも、この世に本当に存在するひとが死ぬ瞬間をリアルタイムで見たのは、カメラ越しとはいえあの時が最初だった。

 

……関係ない話はここで終わり。これからシンゴジの話します。

 

フィクション内のリアリティについて、個人的ながら明確な基準がある。それは「そのキャラや共同体が実在したとして、実際にそういう状況下に置かれた場合に、人類の一集団、一個体として妥当な範囲の判断をするか」というものだ。

生物学クラスタを失笑させた遺伝子情報8倍の巨大不明生物は実在しない。マフィア梶田をSPにつけた米国特使はいない。竹野内豊は官僚ではない。ゴジラさんが東京駅で縦横にビームをまき散らしているのにすぐ傍のグラン東京が無事な訳がない。ドイツの研究機関は計算リソースを貸し出したくらいで内部の機密情報を抜き取られるようなアホなセキュリティのスパコンを使ってない。いずれも全くリアルではない。

でも個人的にはそんなことはどうでもいい。リアリティを判断する材料にはならない。重要なのは本当にそんな世界だった時に、人間の振る舞いをどう描くかだ。

 

シン・ゴジラは全キャラの行動や言動が「あ~まぁそうだよね~そうなるよね~~」と理解できるもののみで構成されていた。そんな映画ほとんど見たことない。大体どの作品にもいくつかは「どんな判断だ?!」となるものが含まれているものだ。

これは「キャラに"共感"できるか」といった話とは違う。政府機関に所属するヒーローが悪と組織の非効率を憎んで武器を持ち出し単身敵陣に突撃する姿や、恋したら死ぬ病に罹患しながらも愛を貫こうとするカップルの姿は感動的で"共感"とカタルシスを招く。でも、冷静に考えたら全くリアルではない。そのように振る舞う人類がこの世界にひとりもいないとまでは言わないが、99.9999%の人間のこころはそのようにはできていない。無責任な観客は悪の横暴を見過ごすモブキャラを叩き、単身立ち向かうヒーローに"共感"して喝采する。「臆病者どもめ、もし俺があの場にいたら弱者を見捨てたりしない」と思いこんで溜飲を下げる。しかし賭けてもいいが、そう思う観客の9割9分が実際にそうしたイジメや犯罪の場に立ち会ったら、見て見ぬふり以外できないはずだ。現代人は冷酷とかいうのではなく、それが人間というものだ。ああいうのは人間が実際にそのようにふるまうかどうかではなく、人間の「自分もあのように振る舞いたい」という願望に寄り添うようにできているのだ。

人間は、実はリアルな他人にはそれほど"共感"できない。恋愛映画のヒロインの感情にはまるでわが心のように共感できても、実在の自分の恋人や配偶者にまるで共感を示さないひとはいくらもいる。ましてや人生の中では自分にすら"共感"できないことも多々ある。生きていれば「なんでこんなことしちゃったんだろう??」と我ながら理解できない振る舞いの一つや二つあるものだ。

実在の人間は人間が共感するにはあまりにも一貫性を欠き、矛盾に満ち、複雑すぎるのだ。大抵の物語は人間心理のノイズを極限まで捨象し、第三者が理解できるレベルにまで落とし込んでドラマを作っている。そうしないとストーリーとか描いてられないしね。

 

そうした意味でシン・ゴジラの登場人物、特に一応主人公であった矢口蘭堂という人物に"共感"したひとはあんまりいないのではないだろうか。身につまされる、ということはあったとしても「あんなふうに振る舞いたい」というキャラだったかというと甚だ疑問だ。

彼を「若手の有能な政治家」の象徴としてとらえる評もあるようだが、個人的には何言ってんだ?と思う。アレはまぁダメな男だ。異常事態が起こっている時にニコニコなんぞを見ており、あろうことかその情報を信じて閣僚会議の席で「生き物では?」とか言っちゃう。政府対応が後手後手に回ってしまったその現場にいてその経緯を余さず知りながら、大臣やマスコミがすぐ傍にいる状況下で政府対応を批判しちゃう。徹夜ハイで「日本はまだまだやれる」などとブラック発言をし出し、尾頭さんに白い目で見られる。赤坂から立川まで16時間歩いて疲労困憊してるのは分かるけれど、無辜の志村を怒鳴っちゃう。この頃から矢口は明らかに精神的余裕をなくし、振る舞いがちょっとヤケクソめいてくる。

親が偉い人なのと、当人の実務処理能力が高いのでそれなりに有能扱いされているっぽいが、実際は「政治の世界は敵と味方だけだから簡単」などと空気の読めない子っぷりを隠そうともしないし、赤坂さんにしょっちゅう窘められている。ただ悪い人間ではなく、素朴な人情と熱意を持った気のいい奴なのだ。だから赤坂さんも泉ちゃんも何かと矢口が気になり、世話を焼いてしまうんだろう。しかしその点が古参政治家から見ると甘ちゃんに思えるのか、一部年配層からはどうも疎んじられているというか、大丈夫かあいつ?という風に扱われているのが微妙に見て取れる。ヤシオリ作戦の承認は、筋論を考えれば矢口が自分で里見さんに頭を下げに行くべきだ。でも実際に里見さんを説得し、とりなしたのは赤坂さんと泉ちゃんだった。多分、狸オヤジの里見さんと直情家の矢口はそんなに仲良くない。

他にも女だてらに肩肘張って政界を渡ってきたんだろうなぁと来歴が透けて見える花森大臣とか、攻撃の爆風にもひとり悠然と表情を変えないおそらくイラク帰りっぽいピエール瀧とか、こんな話を全キャラ分してるとどうしようもないので適当に切り上げるけれど、登場人物のいずれもが「あーーそういう系のひとね、いるよねこんなヒト~~いるわ~~~」と思えるキャラに仕上がっていた。共感はできないが非常にリアルだ。

 

また、大河内総理その他閣僚の「判断」のリアルさにも感銘を受けた。シン・ゴジラの中の日本は間違いなく東日本大震災を経験している。だから人々の放射線への関心は高い。そして総理をはじめとするあの内閣はゴジラ来襲に対処するにあたって、つねに「これは"あの時"よりもヤバいのか?」という考えを念頭においていたはずなのだ。

多分、彼らは東日本大震災の時の閣僚ではなかった。与党ですらなかったかもしれない。あの時の政府対応を横目で見てきて、なんとかあの時よりも被害を最小限に抑えようと、それを真っ先に思ったはずだ。里見さんが後に「避難というのは、住民に生活を根こそぎ捨てさせるということだ。簡単に言わないでほしいな」とつぶやいていたけれど、それがあの内閣の総意だっただろう。もちろん人命を守るために避難が必要な局面はあるが、避難によって失われた人命だってあった。ゴジラ地震も恐ろしいが、パニックや不安が巻き起こす被害がそれ以上になることも大いにある。彼らにはその時の記憶が生々しくあったはずだ。

結果として政府対応は後手後手に回ってしまったが、ゴジラが立ち上がってでっかくなるとか、内閣総辞職ビームをまき散らすとかあの時は誰にも分からない。少なくともあの段階では飢えたヒグマが30頭くらい蒲田に解き放たれたのとどっちがヤバいのか、ちょっと判断に困る。自衛隊の出動を決めた時点では、まだ蒲田くんが道を歩いていただけだった。その数十分前に捕獲の検討をしていたことを考えるとむしろかなり決断が速かったとも思える。結果的にゴジラさんは人間を食べなかったし、積極的に襲いもしなかった。あの段階で根拠法の確認もなしに総理の一存でアパッチをぶっ放す内閣が本当に「決断力のある内閣」なのか?住民に当たるかもしれなかったのに?いやいや、それはないでしょ。

事態がどんどんヤバくなるにつれ政府関係者の判断基準はバリバリとインフレを起こしていき、最終的には自衛隊の無制限火気使用、そして無人在来線爆弾を突っ込むまでに至る。その判断基準のインフレに付き合わされた観客は、無人在来線爆弾のシュールな光景に強い印象を受けながらも、判断の妥当性はもはや疑わない。人間が直感的に妥当性の判断を行う際に参照する前例の数は精々1つか2つなのだ、直近の過去事例が異常なら、人間はいとも簡単にその異常さに順応していく。

 

アメリカが通常の兵器は通らないとみるや核攻撃を決断したのも、アメリカの立場を考えればよく分かる。アメリカは日本よりはるか以前からゴジラに注目し、ある程度その危険性と利用可能性について想像していた。アメリカがあの段階でもっとも恐れたのは日本の滅亡よりも、ゴジラさんが中国の手に渡ることだっただろう。だって中国、中原あたりでゴジラ飼いそうじゃん!!……というネタはさておき、それくらいなら壊滅した東京の復興支援のために大金を積む方がアメリカにとってはマシな選択に思えたはずだ。

アメリカは先の大戦後、リアルに日本の分断統治を検討していた。また東日本大震災の時も、日本が福島を境に分断される想定を現実的に行っていた。日本人が考える以上に、アメリカにとって日本の分割は現実的なアイデアなのだ。ニューヨークが壊滅してもワシントンDCがあるじゃん?東京が沈没してもOsakaがあるじゃん?何もゴジラさんに来て頂かなくとも、首都直下型地震の危険性だってある。どんな事情であれTokyoが壊滅したらアメリカはそれなりに困るが、だからこそ「その時どうなるか・どうするか」を彼らは割と冷静に考えている。

 

これからの話だけれど、多分ゴジラ安保理の管轄案件になる。日本は非常任理事国ながら、世界唯一の被爆国に加えて唯一の被ゴジラ国として、グローバルのゴジラ対策と研究をリードすべく奮闘するだろう。ゴジラさんの極限環境微生物をめぐる利権で、世界にはもうひと悶着あるかもしれない。エネルギー絡みできな臭い動きが産油国で起こり、またゴジラが投機対象として認識され、一部で市場が活気づきそうだ。

巨災対はいつまでもあの地位にはおけない。いくつかの官公庁間ですったもんだがあった挙句、今後は研究をメインにするという名目で環境庁文科省の下部組織になるだろう。環境庁の場合尾頭さんが役職につくかもしれない。ちょっと発達障害の気がある彼女に調整役が務まるかどうかは不安だが、きっと泉ちゃんがよしなにしてくれそう。

そして東京駅で凍っているゴジラさん、あの後あれどうするんだろうね?いつまでもあそこで凍っている訳にはいかないだろうから、多分何とかしてバラバラにして欲しい国に送ったりするのかな。残りの部分は南極で共同管理でも。

 

……そろそろ疲れたのでこの辺で。シン・ゴジラはいいぞ。