エルの楽園

Twitterで垂れ流すには見苦しい長文を置きます。 あ、はてな女子です。

いじめ保険

(小中)学校におけるいじめの解決策について長年いろんな人が頭を悩ませているが、わたしはもういじめの「解決」についてあきらめている。その理由は単に「自明」とさせてもらいたく、いちいち論じるのもうんざりするくらいだが、一応言及すると

  • いじめは子どもの社会どころか大人のコミュニティにおいても発生するものであり、子どもの理性や道徳心による解決は非現実的すぎる。
  • そもそも渡邊芳之氏も指摘するとおり、いじめ自体が道徳心の発露であるケースもあり、倫理や教育によるいじめの解決は原理的に非常に困難。

といったところだろうか。いじめの原因について、わたしは「学校なんてものがあるからいじめが起こるのだ」以上のことは言えない。いじめは学校が原理的にはらむ副作用のひとつであり、学校があるかぎりいじめはなくせない。少なくともこの問題について一度でも真剣に考えたことがある人ならきっとわかるだろう。「そんなのは、無理だ」ということが。

いじめは根源的に「解決」できない。もしいじめの被害にあったら、親や教師などに相談して徹底的に叱ってもらうか、相手をぶん殴って黙らせるか、もしくは転校するかなどの対処療法的な回避策しかない。

 

だから本稿はいじめの解決について語るものではない。わたしがこれからする話は、いじめの回避策としてもうちょっとシステマティックで、あるいは、ちょっぴり予防にも効果があるかもしれない方法のひとつについてである。

 

まず、いじめを受けたときのもっとも穏当かつ確実な回避策は「転校」である。できるだけコミュニティがかぶらないように転居を伴うともっとよい。とにかく、コミュニティそのものを変えて人間関係をリセットする。

教師に叱ってもらう方法は教師の資質に大いに左右されるし、叱られたくらいでいじめっ子がいじめをやめる確率は低い。いじめっ子をぶん殴るのもよろしくない。殴った側が悪者にされる。それにやはり、いじめっ子が反撃されたくらいでいじめをやめる確率もそう高くない。それを考えると「転校」が一番穏当で確実な方法だ。

しかし転校も転居もそうホイホイできるものではない。大抵の公立学校には学区というものがあるし、学区を変えるために転居しようにも費用がかかる。既に持ち家だった場合はなおのこと経済的損失が大きいだろう。そう、つまり多大な金銭的コストがかかるのだ。

いじめ保険はこの金銭的コストに対する保険である。わが子がいじめられて転校を要する事態になったときに保険金が下り、転居にかかる諸費用を負担してくれる。

 

もちろん、保険金の詐取をふせぐために保険金の支払いには条件がある。たとえばこんな感じだ。

  • 保険金支払いの対象となる「いじめ」とは、刑事罰の対象となるものである。つまり、保険金の支払いを受けるには被害届の提出が必要になる。
  • 保険金は被害届が受理されて捜査が行われ、被害の内容が事実であると判断されたときに支払われる。それより前に被害届の取り下げや示談が成立した場合、保険金は支払われない。
  • 刑事罰の対象となるいじめであれば、そのいじめの内容や罪の軽重は問わない。

このような条件がついていれば、いじめ保険に加入している親は保険金を得るために犯人を突き止め、警察沙汰にせざるを得ない。逆に言えば、もしいじめ保険に加入している子をわが子がいじめたら、問答無用でわが子が警察に突き出されるのだ。被害届を取り下げてもらうには、いじめ保険の保険金よりも高額な示談金を支払わねばならない。これは親にとって子にいじめをしないようはたらきかけるインセンティブとなりえる。

当然、いじめられる子どもにとっても、いじめ保険の存在は親にいじめをうちあけるインセンティブになる。いじめ保険に加入している親はわが子に「うちは保険に入っているんだから、いつでもいじめに対処してあげられる。いじめられたらすぐに言いなさい」と宣言するだろうが、このような明示的な親のバックアップがあれば、子どもの方も随分親にいじめを打ち明けやすくなるだろう。なにしろ、いじめられっ子の大半は「親に迷惑をかけたくない」からいじめを黙っているのである。

 

いじめ保険にはさまざまな特約がついていてもいい。

  • 転居に伴って親の転職が必要とされる場合、転職活動の間の生活費用を負担するいじめ転職特約。
  • 自分の子がいじめる側に回ったときに種々の費用を負担するいじめ賠償特約
  • いじめによって治療を要するけがや疾患を負った場合に医療費を負担するいじめ医療特約
  • いじめによって受けた精神的苦痛の補償をもとめる民事訴訟を起こす場合、その裁判費用を負担するいじめ訴訟特約

いじめ保険は子どもの学校入学時に入るか入らないかを選択でき、後から入ることはできない。転校時はその都度、再度いじめ保険に加入するかどうかを選択できる。

 

さて、いじめ保険はそういう金融商品であるから、保険会社はリスクをコントロールするために当然のこととして対象の格付けを行う。つまり、各学校ごとにいじめ格付けが算出される。

いじめ保険の適用割合が多かった学校の格付けは低く算出され、そうでない学校は高い格付けを得られる。格付けは毎年計算しなおされ、保険会社から世間に公表される。当然、格付けの低い学校に入学する子は高い保険料を徴収され、格付けが高い学校に入学する子は安い保険料で済む。

 

「○○県○○市立 第2○○小学校……BB 保険料 月額1万円」

「○○府○○市立 XXX小学校……AAA 保険料 月額2千円」

「△△県XX市立 ○○○小学校……C+ 保険料 月額2万3千円」

 

親は当然、可能な限りすこしでも高い格付けの学校に子どもを入れようとするだろう。また、保険料を下げるために学校にいじめへの対処を強くもとめるようになるかもしれない。もちろん、当の自治体や学校にとっても、自地域の学校の格付けが低いことを世間に対して公表されるのは嫌な気分だろう。口のうるさい人が首長の場合、教育委員長が叱責のひとつも受けるかもしれない。

 

いじめ保険を主に「いじめる側」ではなく「いじめられる側」への保険として設定するのは、いじめられる側が使える手札をすこしでも多くするためだ。いじめはほとんどの場合「いじめる側」が圧倒的に有利だ。学校は可能な限り穏便にことを済ませようとするし、クラスメイトはいじめる側の味方だ。だから人は自分がいじめる側になることではなく、いじめられる側になることを恐れる。

つまり、いじめ保険をより必要とする者は「いじめっ子」ではなく「いじめられっ子」なのだ。だからいじめられっ子を保護するいじめ保険は多くの人に入ってもらえる可能性があり、ビジネスとして成り立つ余地がある。

 

「いじめは個人的な問題ではなく、社会問題だ」という意見に、わたしは大いに賛成する。社会問題ということは、この問題に対処するコストは社会全体で担われるべきだ。すなわち、そのコストは金融商品として売買されるべきだ。

どこか保険会社の人、いじめ保険の商品化を検討して頂けませんか?そう悪い話ではないと思うのですけれど。

 

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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