エルの楽園

Twitterで垂れ流すには見苦しい長文を置きます。 あ、はてな女子です。

あの時、わたしが考えていたこと

もうすぐ二十歳になる年下の友人に、わたしが彼女くらいの年齢だった頃は何を考えていたかと聞かれたので、人生のどこで何を考えていたのかを思い出しがてら備忘録を書いておく。それぞれの年齢において生活や恋愛や仕事の悩みなどは相応にあったが、それは特に年齢固有のものではないと思うので、あくまで「その年齢」に考えていたことを記録する。

(※発言は個人の感想です)

 

10歳の頃、世界には秘密がたくさんあって、わたしたちにはそれが隠されていると思っていた。

大人たちは世界の秘密を知っているけれど、彼らにも何か都合があるのか子どもにはそれを教えない。だから何とかしてそれを暴いてやりたいと思っていた。

市立図書館の隅っこに放置されている、小さな字の古ぼけた本、街路の植え込みの下の暗がり、無数に落ちているきれいな石やドングリの中、そういったものに世界の秘密が隠されていると思っていた。だって大人は、わたしがそういったものを丹念に調べようとすると「なにをグズグズしているの、さっさとしなさい」などと叱ってそこから注意を背けようとするのだから。

堀辰夫「ルウベンスの偽画」に、ヒロインとその母の指が「彼女のふっくらした指」と「夫人の引きしまった指」と描写されている。それを読んでわたしは思わず自分の手を眺めた。10歳の童女の指はまだ細かったが、引き締まってもいなかった。わたしはもう少し自分が長じたらこの指が太り、そして大人になったら細くなるのだと思った。世界の秘密をまた一つ知った思い出として、とても印象に残っている。

 

15歳の頃、日常が永遠でないと知って、日常の終わりを恐れていた。

この年齢の子どもの生活は目まぐるしくて、3年程度で所属するコミュニティや社会からの取り扱いがどんどん変わってしまう。しかも、当時は阪神大震災オウム事件等も記憶に生々しく、日常なんてまったく永遠ではなくて簡単に崩れてしまうと思い知っていた。社会全体がいわゆる「世紀末」思想の全盛期だったころだ。

今の日常もきっとすぐに終わってしまう。その時はどうなってしまうのだろう?今の自分には大切なものやひとがたくさんあるのに、それらはきれいさっぱり失われてしまうんだろうか?

一日でも長く今日が繰り返されればいいと願っていたけれど、同時に、必ずくる日常の終焉に対してどういう対策をとればいいのか、具体的な方法を知りたいと思っていた。

 

20歳の頃、自分が分別を完璧に備えた一人前の大人だと思っていた。

同い年の男の子がどうしようもなくガキくさく見えて、あまり関わりたくなかった。自分と違う考えや価値観を内心バカにしていた。それでも、もういい大人なのだから世界に対して理性的な態度でいなければいけないとも強く思っていて、今までの人生でやったことがない事には可能な限り挑戦した。苦手な食べ物を食べてみたり、視界に入る喫茶店とバーには全部入ったり、遠くへ旅をしたり、全然関係ないゼミに乱入したり、見知らぬひとに会いまくったり、創業をして遊んでいたのもこの頃だ。めちゃくちゃに勉強したし働いたし、その反動でこんこんと寝込んだりを繰り返したりした。

世界に対する恐れは消えていて、ある種の博愛のようなものが芽生えていた。世界はわたしが生きるための道具ではなく、それ自体愛すべきものなのだと知った。

 

25歳の頃、こんなことをしていて意味があるのかと思っていた。

どんなことに対しても意義や客観的理由を求めるようになっていた。素直に「やりたいからやる」という気持にはなれなくて、なにか人生でキャリアになるとか、ひとに自慢できるとか、社会的に意義がある行為だからやる、とか、そういうのがなければなにかをすべきではないと思っていた。

人生に対していわゆる効率厨になっていたと思う。やりたいことは物凄くたくさんあったのだけれど、それを全部やっていたら到底身がもたない。だから選別のためにそうした理由を必要とした。そうして選ばれた「やりたいこと」は、どれも大成功とはいかなかったが間違いなく楽しかったし、有意義だと感じられた。でも、段々自分の「やりたい」という動機の重みは下がっていった。

 

30歳の頃、このままでいいのかと思っていた。

それなりに充実も安定もしていて、公私ともに恵まれ幸せに暮らしていた。おとぎ話の結末の「末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし」状態だった。でも今までの人生で、むしろ未知や不確定に慣れ切ったわたしには、ずっと同じ状態でこれから先の人生を過ごすなどと考えるとむしろ焦燥感が湧いてきた。

人生は変化しなければならないと思っていた。特にどうしてもこれといってやりたい困難な挑戦があった訳でもないが、しかし自由と快適はトレードオフだ。苦労なら今までに売るほどやってきて、ずっと安定した快適な生活を望んでいたはずなのに、いざそうなるとなんでまた大変な目に遭いたいなどとアホなことを考えるのか、我ながら理解に苦しんだ。バカな考えをなんとかして鎮めて、ちゃんと足元の今ある幸せを享受するのが人類の務めだとも思っていた。

 

それぞれのタイミングで考えていたことで、今はそう思っていないこともたくさんある。世界の秘密はもう、作る側に回った。日常の変化も、受け止める方法やどうしても変えたくない部分を守る方法を学んだ。多数の失敗を重ね続けて、自分は永遠にガキだなと思い知った。人生の意味はその時の自分だけが判断するのではなくて、周囲のひとや未来の自分も関係するのだから、今の自分ひとりで意味などを考えても仕方ないとわかった。そして、結局のところバカにつける薬はないことも分かった。

でもそのことをタイムマシンでそれぞれの時期の自分に伝えても、きっと全然理解してもらえないだろう。「何言ってんのこのおばさん??」で流される。自分のことだ、手に取るようにわかる。だから、今から過去の人生を振り返って後悔の類は全然ない。どうせ誤った選択に差し伸べられる救いの手を、それぞれのわたしは愚かにも誇り高く振り払うのだ。

35歳の自分がなにを考えているのか今はまだわからない。でもきっと彼女は、今のわたしが知らないことを知っていて、今のわたしが理解に苦しむことをやっているんだろうと思うと、ちょっぴり楽しみではある。

土鍋炊飯を全力で擁護する

イケダハヤト師に乗っかる訳ではないが、ご飯を土鍋で炊くようになってもう6年くらいにはなるので、この辺でひとつ土鍋での炊飯を全力で擁護してみたい。ついでに、土鍋炊飯をしてみるかしてみないか悩んでいるひとの参考になれば幸いである。

ちなみに使用している土鍋はこれ。

日本製萬古焼き みすずの 栗形 ごはん鍋 3合(三鈴窯日本製万古焼き)

日本製萬古焼き みすずの 栗形 ごはん鍋 3合(三鈴窯日本製万古焼き)

 

 1合用、3合用、5合用、7合用の4種類があるが、一人暮らしなら3合用をお勧めする。一合用は小さすぎて、返って取り扱いが難しい。もしたくさんご飯を食べるか、一度にまとめて3合以上のご飯を炊くか、ご飯土鍋を炊飯以外の用途で使いたいならば、もっと大きなサイズがよいかもしれない。

吹きこぼれが心配なら、ワンサイズ上を買っておくと間違いない。最大の7合用サイズでも、大きさは3合用炊飯器と同程度だ。それほど場所は取らない。

この土鍋にした理由は、内蓋がないので洗いやすいからだ。土鍋なのでやはり炊飯器の内釜よりかは重量がある。それと万古焼なので固めであり、伊賀焼などのような脆さがなく割れにくい。

中には使用方法を書いた説明書が入っていて、それに従えばまず失敗はない。

土鍋でご飯を炊くと火加減が難しいのでは?

炊飯用土鍋の場合、火加減は不要なので全然難しくない。とりあえず強火にしておいて、説明書に記載されている時間にキッチンタイマーを仕掛けておき、放置するだけだ。見ている必要もない。キッチンタイマーが鳴ったら火を消して更に放置するだけ。

段々慣れてきて、焦げ目をちょっとだけつけようなどとこだわりだすと火加減を自分で調整する必要が出てくるが、基本的には火加減は不要だ。

コンロを一つ占領するし時間を食うのでは?

炊くご飯の量にもよるが、加熱時間は10分足らずだ。火を止めた後は当然火から降ろして構わない。炊飯器よりはるかに早くご飯が炊ける。忙しい朝にもお勧めだ。

10分なんておかずの具材を切っているだけで過ぎ去る時間だ。一口しかコンロがない状況下で土鍋炊飯をしていたこともあるが、コンロを占領するなどという理由で困ったことはない。

保温機能がないんだけれど

ぶっちゃけ炊飯器の保温機能なんて電気を食うだけだ。土鍋で炊いたご飯は、そのまま土鍋で放置しておいても土鍋自体がご飯の水分を調湿してくれるので、いつまでもベチャっとせずに美味しいまま保存できる。ご飯を保存するお櫃には陶器製のものもあるが、ちょうどあんな感じでご飯を保存してくれる。食べる前に電子レンジで温めればいいし、冷ごはんでも十分美味しい。まるで炊き立ての冷ごはんのような味わいを楽しめる。

手入れが難しいのでは?

よほど大きなサイズの炊飯土鍋ならともかく、3合炊き程度なら圧力鍋を洗うよりも楽に手入れできる。炊飯器の金属製内釜よりかは重いが、土鍋タイプの内釜ならおそらく大差はない。

他のことに使えないよね?

貴様は炊飯器を買う時にご飯を炊く以外のことを考えて選んでいるのか?まぁ、最近は炊飯器クッキングも盛んなようなのでそういう人もいるのだろう。各種炊き込みご飯はもちろんのこと、コンフィやローストビーフ、煮込み料理などなど、炊飯器でできることは基本的に土鍋でもできる。ただ炊飯器ケーキだけは、この土鍋は上部がややすぼまっているために向かない。

うちはIHなんで……

あ、そりゃだめだ。失礼しました。

 

そんな訳で土鍋炊飯、お勧めです。なにかご質問がありましたらお気軽にお寄せください。

自殺予告を警察に通報したらどうなるか

自殺予告をオンライン上で見かけて、それを警察に通報したらどうなるか、自分の体験を覚書として記録しておく。もし自殺予告を通報するかどうかためらっているひとがいたら、一例として参考にしてもらえると嬉しい。

 

長文読んでいる余裕がないひとのためのまとめ:

●とりあえず以下の情報のうち上から順に分かるだけ用意しておけ。

  1. 自殺予告したひと(以下「対象者」)の本名、住所(大体でも構わない)
  2. 対象者の電話番号、メールアドレス
  3. 対象者のリアル知人の連絡先
  4. 対象者の生年月日
  5. 対象者の実家の住所・連絡先、所在地
  6. 対象者の学校/勤務先、およびその連絡先
  7. 対象者のTwitterFacebookmixi等のアカウント
  8. 対象者の家族構成
  9. そのほか、どんなことでも。

●自分と相手とはどんな関係なのか聞かれる。特にリアルで面識があるかどうかは重要。説明に困るならとりあえず「ネットの友人」でOK。

●自分の名前や住所、身分等を聞かれる。警察官が事情聴取のため自宅に来るか交番に呼び出されます。相手の住所が分からない場合、長丁場になると思う。

●事態が収束してからも警察から確認の電話がくることがある。

 

 

※これは執筆から大分間を空けた後の公開設定にしてあります。また本文中でもいくつかのフェイクを加えてあります。特定を避けるためです。もし万が一何の件か解ったとしても、特定はやめてください。

 

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自殺をしようとしていた女子学生がいた。仮にXちゃんと呼ぶ。わたしとXちゃんは学校も学年も違うけれど、Xちゃんの恋人が共通の知人だった縁で知り合って、Twitterでフォローしあい、たまに二人で遊びに行く仲だった。

Xちゃんはもともと精神的にもろいところがあった子だったけれど、恋人との関係が悪化して、どんどん様子がおかしくなっていった。毎日Twitterに「死にたい」と書き込み、わたしにも深夜に同様のメールや電話をしては「もう今日で死ぬ」と泣いていた。他のXちゃんの友人にも同様のメールや電話が行っていたらしい。精神薬の大量服用も繰り返していた。いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」状態が1ヶ月程度続いており、わたしを含めたXちゃんの知人は心配しながらも疲労していたと思う。

 

ある日の夜10時頃、XちゃんがTwitterに「今回は本気で死にます」と書き込み、証拠写真をアップロードした。またわたしの携帯にも「これから死にます、今までありがとう」とのメールが来た。わたしが彼女に電話すると「彼から完全に振られて、もう生きる意味がなくなった。これ以上生きるのがつらいし、本気で死ぬつもり」と言う。わたしがどんなになだめても思い直す様子はなく、わたしが「本気でやるなら警察に通報するからね?」と言うと「やれば?どうせわたしの家は解らないでしょう」と言って電話が切れた。

そこでこちらも本当に警察に通報しようと、まずは有害情報通報フォームを開いた。Twitter上で見かけた自殺予告だから、そこから通報するのが筋かなと思ったのだ。でもトップに「殺人・爆破・自殺予告など緊急に対応が必要な情報は、警察に110番通報してください」とあったから、110番通報することにした。

 

電話すると「事件ですか?事故ですか?」と聞かれる。「事件です。自殺予告を見たんですけれど」と言うと、まずわたし自身の情報、たとえば何処から電話しているのか、名前や簡単な住所を聞かれた。

それに答えると、次は「どこで自殺予告があったのか」を聞かれる。わたしはTwitterで自殺予告を見かけたこと、自殺しようとしている本人はリアルの知人で、メールや電話でも確認をしたこと、またXちゃんの本名や携帯の連絡先、身分等を話した。

「住所はわからないんですか?」と聞かれたので言葉に詰まった。わたしはXちゃんと知り合って日が浅く、彼女の自宅へ行ったことはなく、年賀状のやりとりなどもしたことがなかったので、住所はわからない。そう言うと「住所が分からないとどうにもならないんですけれどね」と何度か繰り返した後「大体でいいです、どこの所轄なのかわかるだけでも」と言われたので、以前雑談で耳に挟んだ彼女の自宅最寄り駅を伝えた。

すると「これから警察の者が詳しいお話を伺いにご自宅へ参りますが、よろしいですか?」と言われたので了承し、もう一度詳しい住所を説明した。夜遅かったけれどそんなことは言っていられない。「どんなことでもいいですから、Xさんに関わる情報を少しでも多く集めておいてもらえませんか」と言われて、電話はそこで切れた。

 

それから20分後くらいに地元の県警の警察官3人が自宅に来た。Xちゃんの住んでいる隣県ではなく、わたしの地元の県だ。詳しいお話を伺いたい、あがらせてもらうか、もしくは交番に来て欲しいということだ。ここから最寄の交番までは遠いので、自宅に上がってもらう。

3人の警察官に電話でも話した内容を再度伝え、PCを開いて問題の書き込みを見てもらったり、携帯に来たメールを見せたりした。住所はわからないのかと再度聞かれたので、わたしは知らないと伝える。彼女の恋人なら知っているかもしれないが、電話をしてもつながらない。すると「Xさんのご実家の県と、生年月日はわかりませんか?」と聞かれた。

実家の県は知っているが生年月日は知らない。そう伝えると警察官は「いいですか、Xさんの保護のためにはXさんの現住所がどうしても必要です。Xさんは自動車免許を取得されている可能性があります。それらの情報がわかればXさんの住所を割り出すことができます。携帯電話番号からの照会は日数がかかるし、Xさんの所属大学は夜間ですから問い合わせることができません。現時点では、免許の情報から割り出すのが一番早いです。なんとか手がかりはありませんか?」と説明した。

そこで正確な生年でないかもしれないが、彼女の学年や今までに聞いた情報から生年を類推した。また、これもまったく確実な情報ではないが、彼女のTwitter IDには日付ともとれる数字列が含まれており、おそらくこれなのではないかと警官に話した。結果的にはこれが正解だったらしく、免許情報からXちゃんの実家経由で彼女の住所を特定することとなる。これらの情報を話してから住所の特定までは90分程度だった。

 

警察官とそのような話をしていると、ちょうどXちゃん本人から携帯に電話がかかってきた。電話を取ると何か薬を服用しているらしく、テンションがいまいち普通ではない。

「本人から電話です」と短く伝えて電話を取る。とりあえず、Xちゃんと少しでも長く電話するのがわたしの務めだろう。わたしは隣の部屋へ移動し、Xちゃんと話をした。隣室では警察官たちが方々へ連絡を取り、特定を依頼している声がかすかに聞こえる。

Xちゃんは開口一番「警察呼んだって言うから待ってたのに、来ないじゃん」と言った。わたしは「本当に通報したから。今すぐ行くから。今行こうとしてお巡りさんが3人がかりで君の住所を特定しているところだから待ってて」と返事した。彼女は冗談だと思ったらしく軽く笑った。

そこから先はいつも通りの展開で、結婚まで考えていた恋人に振られてもう生きていけない、彼は絶対に離れないと言ったのに、もう誰も信用できないし、みんなわたしのことなんかどうだっていいと思っているんだ、と訴えるのをひたすら聞き、そんなことはない、みんな心配しているし死なれたら悲しい、と伝える。それにXちゃんはそんなことはない、みんなわたしを捨てるんだ。大体彼だって……と繰り返す。

Xちゃんとはこのところ連日のように深夜長電話をしていたから、いつも通りの会話を繰り返すだけで軽く70分は経った。疲労のためか、Xちゃんの様子は落ち着きはじめている。

 すると警察官の一人が隣室に来て、わたしに無言で「Xさんの住所が分かりそうです。彼女が自宅にいるかどうかを上手に確認してください」と書いたメモを見せた。Xちゃんの家は都市部にあり、周囲の音の様子から彼女が自宅にいることは確信していたが、一応確認のためにさりげなく話をする。

「とにかくさ、こんな雨の日に死ぬなんてよくないよ……そっちまだ降ってる?」

「外のことなんて知らないよ」

待機している警察官に「OK」と合図すると、警察官はどこかへ電話をかけた。

 

その直後、Xちゃんが「ちょっと待って、どこまで特定しているの?」と言い出した。わたしが「え?何のこと?」と返すと「今、親から着信があった。こんな時間に電話をかけてくるなんておかしい。もしかしてTwitterのフォロワーにクラスメイトがいたのかもしれない。学年名簿か何かを見て親に知らせたのかな」と言うので「え?でもXちゃん鍵アカだし、学校のリアル知り合いはフォローしてないんだよね?」と言うと「でもフェイクのアカで、本当はフォロワーにいたのかもしれない」と言う。

わたしが「でもXちゃんのフォロワーって数十人くらいだし、その可能性は低いと思う。それよりかは実家の方で誰かが危篤になったとか、そっちを疑ったら?」と言うと「それもそうかも、親に電話する」と言って電話を切った。

警察官たちに「今、Xさんのところに親御さんから電話があったそうです」と伝えると、彼らはすこしあわてた様子でどこかへ電話をかけ「親御さんがXさんに電話したそうです、もう踏み込みますか」と言い、わたしの方を振り返って「それでいいですか?」と聞いた。わたしが「その方がいいと思います、お願いします」と言うと、「通報者もそうしてくださいと言っています。お願いします」と電話に向かって伝え、電話を切った。

 

わたしが警察官たちにXさんは今のところ落ち着きを取り戻している、と話すと、ひとりが「結局、動機は何なんですか?」と聞いた。わたしが、彼女の交際相手の知人であること、最近Xちゃんは恋人とうまくいっておらず、ずっとわたしが相談に乗っていたこと、電話やメールでも彼に振られて生きていけないと再三言っていたことなどを伝えると、それらをメモしていた。

そこに警察官あてに電話がかかってきた。どうやらXちゃんを無事に保護したとの連絡で、肩の力が抜けた。警察官は電話の相手に「動機は恋愛トラブルのようです、彼氏と巧くいっていなかったらしいです」と短く伝え、電話を切った。

それからわたしの方に向き直り「すみませんが記録に残すので、あなたのことを教えてほしいのですが」と、名前・住所・生年月日・携帯の電話番号・職業を聞かれた。そしてどこかへ電話をかけ、Xちゃんを保護したこととわたしのプロフィールを伝え、「撤収します」と言った。そして警察官のひとりが「親御さんがあなたに直接お礼を言いたいと仰っています。ご連絡先をお伝えしてよろしいですか?」と聞いた。Xちゃんの今後が気になるので了承する。

そこで3人の警察官は立ち上がると「今回無事Xさんは保護されました。しかし警察では、Xさんに早まってはいけないと教え諭して帰すことしかできません。これから先Xさんにはご家族やご友人皆さんの支えが必要です。どうかこれからもXさんのことを支えてあげてください」と言った。わたしは「今回はありがとうございました」とお礼を述べ、玄関先まで3人を見送った。

 

翌日、Xちゃんのお母様から電話があった。Xちゃんを無事保護した、これからしばらくの間精神科に措置入院になるとのご連絡と、この度はありがとうございましたというお礼だった。わたしは良かったです、また何かありましたら是非知らせてください、と返事をした。

また、警察のサイバー犯罪対策室というところから電話があった。わたしの身元確認と昨日の簡単な経緯説明を求められた後、XちゃんのTwitterアカウントと自殺予告書き込みの詳しい内容、携帯のメールアドレスを知りたいと言う。怪訝に思いながらも答えると、こんな説明をしてくれた。

実はXちゃんのTwitter書き込みを見た複数のひとから同様の通報があり、中にはXちゃんのリアルの知り合いでないひとも含まれていた。それらの通報の元となった書き込みがすべて同一のものであり、かつXちゃん本人のものであるかどうかを確認するために、リアルの知人でかつXちゃんのTwitterアカウントを知っている人間の協力が必要だった。もしXちゃん以外の人物による書き込みであれば、別途対応が必要なところだった。今回あなたの証言によってこれらが確認できた、ご協力感謝します。資料にあなたの名前と連絡先を併せて記録しますが、よろしいでしょうか?

へぇなるほど、結構地味な作業をしているんだなと妙な関心をしながら了承した。

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これを書いているのは上記のことがあった翌日で、これは今からずっと未来に公開されるから、その時に本件がどのような事態になっているかは分からない。

この記録が通報をためらうひとの役に立てばと思う。何かご質問があればお気軽にお尋ねください。それと、これが公開される頃にはXちゃんが元気になってくれていることを祈る。

力を与える、必要とされる

正月も終わってしまったがまだ一応松の内だし誕生日でもあるので、新年の抱負ポエムを書いてみる。


RPGでは僧侶役が好きだった。あるいはエンチャンター、あるいは武器商人。自分自身が火力になるタイプではない。誰かを強くするのが好きだった。

リアルでも仕事は教師とか情報屋に分類されるようなことをやっている。何かの「情報」を必要とするひとにそれを提供する仕事だ。わたしの提供した情報によってクライアントが成果を上げるのを見るのは、自分が能力値を上げた戦士がガリガリと敵を削っていくのを見るように楽しい。

教育学とか図書館学の辺りにいるのもその所為だ。どちらも誰かに情報によって力を与えるための仕組みであり施設で、如何に多くの必要としているひとに効率的に必要な情報を提供するか、そこを考えるとてもエキサイティングな学問領域だ。

お節介と言われればそうなのかもしれないが、オンラインでもリアルでも、自分と対立するひとがあまりにも武器を持っていないと、自分の意見主張そっちのけで相手に塩を送ってしまう。自分の強化に興味がない訳ではないが、それでも自分自身が強くなったり自分の主張が通ったりするよりも、自分が能力値を上げた誰かが成果を上げるのを見ている方がずっと面白い。

小さい頃は軍師とか参謀になりたかった。自分は動かずに陰で誰かを操るってのが最高にカッコいいと思っていた。でも大人になって、口ばっかりで自分の手を動かさない奴は現実世界では最高にイタくてダサく見えるってことに気づいたから、今はそういうのになりたいとは思っていないけれど。裏方ってのはもっと泥臭いもので、だからこそ楽しいってことを知った。

よく成功した起業家や政治家なんかがスピーチで「自分一人の力ではない、みんながついてきてくれたおかげだ」などと話すけれど、わたしはああいうコメントはきれいごとだとは思わない。本心なのだと思う。
大体、教師だの起業家だの政治家だのというのは因果な商売で、自分にどういうスキルがあるかとか今までどういう社会的評価を受けてきたかなんてことは、直接的にはほとんど関係がない。みんなにどれほど力を与えられたか、みんながどれほどついてきてくれるか、それだけだ。能力を与えられない教師、支持を得られない政治家はそれだけでゴミも同然の存在で、それを考えるとこういう職業は他者による評価の依存度が最高であると言える。だから「みんながついてきてくれたおかげ」はその点で本心なのだと思う。

ひとに何かを教えるのはとてもエキサイティングだ。「人生を変える本」どころか、たった8バイト程度の情報を得るだけで人生が変わることはある。誰かの人生が、わたしが提供したささやかな情報で良い方向に転換すると生きていてよかったと思うし、逆に自分が伝えられた情報を持っていなかった所為でとても苦しんだひとを見ると残念で心が痛くなる。

全部ではないが、知っているだけで避けられる人生の苦悩はたくさんある。もしやりたいことをやれない理由が知識不足なんだとしたら、それは最高につまらないことだ。もっとそのひと自身がぶつかって苦しむべきオリジナルな人生の壁はほかにあるというのに。

大阪ブロガー万博で出会ったひとたち、特に id:foolishandweak さんや id:mememememiti さんと話していて、わたしはつくづくエンパワーメントが好きなのだなと自覚した。気づかせてくれてとてもありがたい。

誰かに必要とされると嬉しい。

2015年になったからと言って、それほど今までとやることが変わる訳ではないけれど、よりやりたいことにフォーカスしていきたい。つまり、誰かの役に立つ情報の生成に取り組んでいきたいと思っています。

 

 

エンパワード ソーシャルメディアを最大活用する組織体制 (Harvard Business School Press)

エンパワード ソーシャルメディアを最大活用する組織体制 (Harvard Business School Press)

 

 

心を定量化する - 「アットホーム」な職場の値段はいくらか

このブログは物理学アドベントカレンダーの19日目です……が、お題は「精神物理学」です。すまない、このテキーラはサービスだから、まずは飲んで落ち着いてほしい。

うん、「精神物理学」って何だって?まぁ謝って許してもらおうとも思ってないし、できれば「ときめき」みたいなものも感じてもらいたいと思っているので、まずは僕の話を聞こうか。

精神物理学は1800年代にドイツで発祥した学問分野で、実験心理学(認知科学)、ひいては行動経済学の成立の礎になった学問であり、今ではこれ自体の研究に携わるひとはいない。フェヒナーという研究者が、従来は測定不可能とされていた人間の感覚--たとえば痛みとか暑さとか快感、ひいては喜怒哀楽までを定量的に"測定"し、あまつさえ外部刺激とその測定結果の関数まで作り出したのが最初だ。たとえば、ごく弱いスタンガンを当てられた時の痛みを1として(大抵の場合はこの「痛さ」の感覚をそろえるために実際に被験者にスタンガンを当てる)、タンスの角に小指をぶつけた時の痛さはいくつですか?などと質問する訳だ。

あ、この段階でガチ物理学クラスタのひとは耳から湯気が出そうですね?本当にすみません。でもこのお題で参加していいって言ったのはaetos氏なので文句はそちらにお願いします。

それで、認知科学の分野では感覚の測定に「尺度(scale)」というものを用いる。尺度は複数の質問で構成されたアンケート用紙のようなもので、測定される側の被験者はそれぞれの質問に1から5の段階で丸をつけていく感じのものだ。そして更に行動経済学では、感情的な損得を含めた全てを金銭に換算して「尺度」とする。
この、感情的な損得というのは面白いもので、実際に損した/得した金額と「気持の」金額は一致しない。キモいストーカーから押しつけられたプレゼントは例え1万円のものでもゴミ同然だが、恋人からもらったプレゼントは1000円の物でも家宝になる。有名なエピソードだと、1000円拾った嬉しさよりも1000円落とした悲しさの方が絶対値として上回る。では、1000円拾った嬉しさを「1000円」とすると、1000円落とした悲しさは一体いくらなんだろうか?

この行動経済学は正しく精神物理学の後継学問だから、つまり僕が行動経済学的なトピックを物理学アドベントカレンダーの19日目で話題にしても構わない訳だ。いやほんとすみません、話を続けます。


それで、今回の話題のためにちょろっと調べたのがタイトルの「『アットホーム』な職場はいくらか」というテーマだ。よく求人広告で「アットホームな職場です!」という宣伝文句がある。求人する側はアットホームな職場の方がそうでない職場よりも好まれると思っているからこのような宣伝文句を書くのだが、求職者の立場だとブラック企業の証として敬遠する傾向があるとも聞いた。とにかく、アットホームな職場をウリにする側は、それが好ましい要素だから、同じ待遇でアットホームな職場とアットホームでない職場があれば前者の方がより選ばれると考えているはずだ。それでは、アットホームな職場の方が月給が5000円低かったとしたら?1万円なら?
ここでアットホームな職場の給与をどんどん下げていき、アットホームでない職場との間で選好の逆転が起こる金額が分かったら、それがアットホームさの値段だ。求人する側はできるだけ低コストでひとを雇いたいと考えているはずだから、アットホームな職場は当然この値段ギリギリまで給与を下げているはずだ……まぁ乱暴な仮定だけれど。

そんな訳で今回はマイナビ転職に掲載されている全求人4727件から、「アットホームな」職場419件を抽出し、さらにそこからサンプルとしてランダムに20件を抽出。同じくアットホームでない職場からランダムに20件を抽出し、月給を比較した。

では結果(単位: 万円):

 アットホーム非アットホーム
平均 22.05 23.15
中央値 22 21
最低額 14 18
最高額 30 42
分散 16.7475 37.7275

平均値だけとると若干アットホームな職場の方が安く、これは予想を反映した。しかし分散は非アットホームな職場が非常に大きく、中央値だとアットホームな職場の方が非アットホームな職場を上回った。非アットホームな職場の方がアットホームな職場よりも最低額・最高額共に上回り、特にずば抜けて金額の高い求人があるのが非アットホーム群の特徴である。

とりあえず平均値だけ見ると、「アットホーム」のお値段は月にして11,000円、ということになる。
どうでしょう、納得のいく価格でしょうか?
あ、一番納得がいかないのは今日のお題ですよね。本当にすみませんでした。


こちらからは以上です。

 

 

 

【閲覧注意※ネタバレ隔離】インターステラーの感想と疑問点

まずまだ見ていないひと向けの枕話。

とにかく映像と音楽は素晴らしい。というか「精神に傷を負う」レベル。こんなに傷つけられるほど圧倒的な力を持った映像、多分初代エヴァンゲリオンでアスカが使徒に精神侵食を受けるシーンのアレ以来だ。あれは当時リア厨だった世代には映像による精神レイプに等しかった。もしかしたらもっと若い世代だとまどか☆マギカの一部映像がそういう体験になるのかも?

さすがにわたしはもういい歳したBBAなので、圧倒的な映像の力で殴られたくらいならば一晩眠れなくなる程度のダメージしか受けないし、むしろ心に傷を負うほどの映像体験というのをこっちから求めてしまう。何度傷ついても、あれはいいものだ。そういう気持を味わいたいひとはぜひ見に行ってください。

ちなみに、映像の力というものが物語の文脈、更には観客を取り巻く文化的・社会的文脈から切り離されて存在する、という考えにはわたしは懐疑的だ。眼球を剃刀で裂かれる映像を見せられて、それを眼球だと判断できるのは観客が持っている文化的資本のおかげだ。だからこそSFの知識がないために本作の映像を堪能できない、ということがあったとしても、残念だがそれはそうかな?とは思う。それが分からない奴はアンダルシアの犬でもざくろの色でもなんでも見てクソして寝ろ、死ね。

 

……さてこれほどどうでもいい話で字数を稼いだのだから、もう本題に入っていいかな。うっかりネタバレを見ちゃうひとはもういないね?いないね?

 

 

↓↓↓(以下はネタバレを含みます)↓↓↓

 

 

プロットははっきり言って陳腐だ。SF的小道具が多く散りばめられてはおり、難解な本格SFとの評価も高いが、SFや宇宙や相対性理論について何ひとつ知らなくても十分に話の筋は理解できる。つまり愛の力で艱難辛苦を乗り越え万事オールオッケー。

愛は偉大だ。この世の色々な映画の中で、愛は難病を癒し死者を甦らせ貧困を解消し重力を捻じ曲げ時間を超え地球を救う。まさに現代エンタテイメント映画界のデウス・エクス・マキナだ。それが理解できるならば、この作品のプロットもやすやすと理解できる。

ただプロットがオーソドックスならドラマとして駄作かというとまったくそんなことはない。プロットが陳腐なだけでダメならこの世の大抵の物語などグリム童話の焼き直しだ。駄作でない物語がなくなってしまう。

本作はストーリーテリングという観点からだと傑作だ。冒頭の、アメリカの田舎を彷彿とさせる痩せたトウモロコシ畑を背景に、ひとりの平凡な老女が農夫であった父の思い出を語る。この典型的な農村のお婆さんが、実は人類を土星へ逃がし地球滅亡の危機から救った偉大なる宇宙物理学者マーフィー・クーパー博士その人であると明かされていく展開には驚くしかなかった。個人的には最初の段階でお察しの"幽霊"や"彼ら"の正体よりもこちらの方がよほどびっくりした。そう、むしろ片田舎の科学大好き少女に過ぎなかったマーフが、父への信頼と愛ゆえに苦しみながらも、その気持を礎についには地球を救うほどの大科学者となり、父との再会を経て自分も多くの子孫に囲まれながら一生を終える、マーフィーという一人の女性のビルドゥングスロマンスとして楽しんでしまった。荒涼とした農村風景とスペクタクルな宇宙空間の映像が交互に折り重なる演出もまた、彼女の成長の大きさや感情の揺れ動きを十二分に表現して胸に迫る。すいませんこういう言い方するとクーパー(父)影薄いね。めっちゃ大活躍の主人公だったのに。アメリア・ブラントさんもだけれど。まぁアン・ハサウェイ可愛いしオールオッケー。でも父の身体を張った大冒険が娘の成長を築いていって、それが本作の主題であった父娘の絆を表現する構図になっている、というのはあながち間違った映画読解ではないと思う。

そして物語としてはほむらちゃんが一回しか時間を巻き戻さず、まどかと真の和解に至ったような世界線のまどか☆マギカみたいな話だと思った。ほむらちゃんは永遠の少女なので老いがもたらす許しとか受容みたいなものを持てず、自我と自責と他罰の業火に永劫に焼かれる可哀相な女の子なんだけれど、もし彼女が老いて子どもを産み、自分の身体の衰えなども経験して、やがて時空を超えた人類愛みたいなものを感じることができたら、自ら志願して概念となり果てたまどかの気持もわかったと思うのだよね。そうなっていた世界のまどマギみたいな話。

ちなみにこれは全然関係ないのだけれど、父娘の物語としてなぜか平山夢明「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」(光文社文庫『独白するユニバーサル横メルカトル』収録)を思い出した。若くして不治の病に侵され余命幾許もない女が、顔も知らない父に正体を隠して会いに行き、望んで父から苛烈な拷問を受けた上殺される話だ。相当歪んではいるが、これもまた父娘の愛を描いた傑作のひとつではある。

父の娘、か。

 

さて、以下は疑問点。そもそも大抵のSFには物語の根幹にかかわるような甚大な疑問点やツッコミを抱いてしまい、いまいち物語に入り込めない。だからSF小説は読めない。物語については例によって本作にもそのような疑問を持ってしまったのだけれど、まぁ映像が素晴らしかったからよし。

 

1. 「他の惑星の居住可能性を探るだけなら無人機とロボットでよくね?なんで人間が行くの??」

ほんまこれ。TARS君のインテリジェントさや堅牢性、高性能っぷりを見るに、なにも人間が決死の覚悟で宇宙探索する必要はなかった。TARS君やKIPP君が行って地面や水のサンプルなり重力データなりを取得し土地の映像なりを撮影して帰ればよかった。終わり。てかまぁ人間が行くにしても、ビーコン置いて帰ればいいよね?なんでそこで帰還せずに現地での野垂れ死にが前提なんだ?とにかく人間が行く必然性がまったく感じられず、その上でマン博士の裏切りを見てもむしろ「ですよね~~普通そうしますよね~~~」としか思えなかった。むしろマン博士以外の、黙って職務を果たして死んでいった他の11人の心理の方がよほど理解に苦しむ。なんでああいう状況下で人間が使命感に燃えて黙って死ぬと思ったんだ?普通他人を騙してでも生きようとするだろと。そのところをちゃんと考えなかったのが、まぁ性善説を信じるにもほどがあるというか、ブラント博士(父)の世間知らずっぷりがよく出ているというか。

 

2. 「そもそも最初ッからガルガンチュアの特異点調べていたらよかったんじゃね?」

プランAを達成して人類を新天地へ送るためにはどうしてもガルガンチュアのデータが必要だった。しかしガルガンチュアはブラックホールであり、うっかり近づいたら死ぬ。したがってガルガンチュアの調査は不可能。よってプランAは完成しない。今の人類はみんな死に、他惑星の環境に適応できるよう準備された受精卵だけが生き残る。それを主人公に教えると「娘を救う」という動機で動いている彼は計画に賛成しないから、ブラント(父)はそのことを隠していた。OK、ここまではいいだろう。

でもロミリーさんがその後宇宙空間内であっさりと「ガルガンチュアは老いたブラックホールでパワーが弱まっており、ギリギリまで近づいて特異点にロボット(TARS君のことですが)を送りこむくらいならできる。TARS君の回収は不可能だが、TARS君は遠隔でデータを飛ばせるから大丈夫」みたいなことを言い出して、主人公も「そっか~じゃあやってみよう!」みたいなノリで賛成してしまう。おいおい。

専門教育を受けているとはいえ、一介の宇宙飛行士であったロミリーさんがそういう判断を下せて、かつ主人公も特に異論はなく同意しているところを見ると、ガルガンチュアのパワーが弱まっているというのは共通認識であり、ブラント(父)もそのことを知っていた可能性が十分にある。ならほんと、最初ッからロボットをガルガンチュアに送り込んでいたら済んだんじゃね?ロボットなら生還の必要もないんだし。なんでブラント先生はあっさりガルガンチュアの調査という選択肢を捨ててしまっていたんだ??どんな判断だよ???

 

3. 「何でミラーの星に行くんだよ?」

どんな判断だ??というのなら作中でこれがブッチぎりのグランプリだ。ミラーの星は重力場の影響で時間の流れが遅く、そこでの1時間が地球での7年間となる。ミラーの星には水や空気があるから人間が住めるかも!という話で調査に行くことになるが、主人公は一人だけ「1時間が7年間??調査の間に人類が滅んじまうぞ」と反対する。他にも人類が住めそうな星はもう2つあるのだからそっちへ行くべきだと主張するのだが、ミラーの星がたまたま一番近いからとかいう謎な理由で押し切られてしまう。

いや、それはない。

本件についてはどう考えても主人公の言うことが正しい。事実、3時間程度調査したおかげで人類が滅びかけた。他の星は遠くて行くのに2ヶ月かかるからとかいう理由で反対された訳だけれど、まさか宇宙飛行士が7年と2ヶ月も比較できないほど算数が分からないとは到底思えない。大体そんな星、万が一住環境が抜群だったところで、移住作業している間に人類みんな死んじゃうだろうと。これは本当に理解に苦しむ判断で、おかげで地球で苦しみぬいたマーフが可哀相で涙を禁じ得なかった。

 

4. 「アメリアさん助けろよ」

先の3つに比べると小ネタになるが、最後に数奇な運命のもとただ一人エドマンズの星に漂着したアメリアさんを助けに行くよう、死の床にあるマーフがクーパーに頼む。アメリアさんは恋人であったエドマンズが命がけで発見した約束の星に、エドマンズの死後もたった一人で残っているというのだ。その星こそが人類が住める新天地で、新たな地球となる星なのだと。

いや、そこまで分かっているなら誰か助けに行けよと。

アメリアさん(とエドマンズ)の所在や生死は彼らの所有している発信機により、逐一地球?に報告されているはずだ。だからこそマーフもアメリアさんの状況について知っていたのだろう。

最後、マーフが老衰を迎えるほど老いた世界では科学技術が進んでおり、宇宙飛行が当然のように行われている社会であることが示されている。最初、主人公が宇宙に旅立った時代とは比べ物にならないほど宇宙飛行が簡単になっているのだろう。なら、エドマンズの星に行きアメリアさんを助けるのも容易になっているはずだ。なんで主人公が目覚めるまで待っていたのか?花を持たせようとの演出ですか??いやそういうのいらねーだろさっさと誰か助けに行けよと。

[※追記※]

これを書いた後で別解を思いついた。Twitterでヒントくれた方ありがとうございます。

もしかしたらクーパー・ステーションにおいても、ワームホールを安全に抜けてガルガンチュアを迂回し気軽にアメリアさんのところに行く技術はないのかもしれない。そして身一つの不時着同然でエドマンズの星についたアメリアさんには、もうクーパー・ステーションと通信する手段もないのかもしれない。

その状況下においてマーフがアメリアさんとエドマンズの星の状況を知っていた理由は、アメリアさんと通信できていたからではなくて"彼ら"がマーフに特別に教えたからであり、マーフだけがそのことを知っていた。で、”彼ら”の存在を誰にも信じてもらえなかったマーフは(だからこそ彼女は世界的科学者の名声を恣にしたのだけれど)、ただひとり"彼ら"のことを知っている父に話してアメリアさんを助けるよう頼んだのかもしれない。

 

多分"彼ら"の技術をもってしても、最初にアメリアさんが予想していたほど簡単に過去の時空にはアクセスできない。マーフの部屋の本棚の裏につなぐのが精いっぱいで、だからこそマーフが選ばれた、という部分もあるのだろう。だから「もっと分かりやすい方法で情報を伝えろよ?!」という点は疑問に思わなかった。

クーパー・ステーションにおいても"彼ら"の存在を事実として確信しているのは(ブラント父娘がいない以上は)クーパー父娘だけで、だからこそアメリアさんの生存を確信し助けに行けるのは彼らしかいない……という話なんだろう。

ちなみにクーパー(父)がアメリアさんを愛していた、という解釈には賛成できない。作中の態度を見る限り、同志として信頼してはいても恋愛感情を読み取ることはできない。本作にはクーパー家とブラント家という2組の強い絆で結ばれた父娘がいて、それぞれがそれぞれの父-娘に対する愛情を感じとり、あるいは重ね合わせていたとしても、それを恋愛だと解釈するのは明らかに短絡的っつーか蛇足というか曲解に過ぎると思います。

 

こちらからは以上です。

ルンバの購入に反対しているのは夫なのか妻なのか


ルンバ購入に反対する配偶者として、下記の二説がある。

「夫が妻の家事の手抜きを許さず、ルンバを買い渋る」

「妻が家事の手抜きをしていると思われたくなく、ルンバを買い渋る」

こういうことはデータがないとどこまでいっても議論が平行線だから、本記事では定量的に考えたい。

 

まず、ルンバ……というかロボット掃除機への意識調査としてこのようなものがある。


ロボット掃除機に関するアンケート|マーシュのミニリサーチ

ここのローデータを用い、「既婚者」かつ「ロボット掃除機の購入を考えていない」男女について以下の通りデータを抽出・加工した。

ではどうぞ。

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で、これは購入を検討していない理由の一覧とその回答数。これは男女混合で、複数回答されている。

f:id:aliliput:20141028184147p:plain

理由一覧はこちらの通り。

  1. 吸引力が十分か気になる
  2. 隅まで綺麗に掃除できるのか気になる
  3. 耐久性(長く使えるか)が気になる
  4. 稼働中の音が気になる
  5. 価格が高い
  6. 電気代が高い・高くつきそう
  7. サイズが大きい
  8. 好みのデザインがない
  9. 使いこなせるか不安(設定・操作など)
  10. そこまで家が広くない
  11. 間取り・配置・家具などが適さないと思う
  12. 小さな子供がいる・ペットがいる
  13. かえって面倒そう
  14. 家事を怠けていると思われたくない
  15. 掃除は自分の手でやりたい
  16. 特に欲しいと思わない、またはすでに持っている
  17. その他

トップ3の理由は「価格が高い」「隅まできれいに掃除できるか気になる」「間取りなどが適さない」で、下から3つの理由が「好みのデザインがない」「家事を怠けていると思われたくない」「サイズが大きい」だ。

 

まぁつまりその、そういう訳ですね。

そんじゃーね!